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蘇生海塩の驚異―血液がよみがえるEM熟成塩

比嘉照夫 知念隆一共著

波と人の呼吸は、なぜ一分間に18回なの?
 水の分子の数は18で、世界中どの国の浜辺に寄せる彼の数も一分間に18回です。それが私たちの呼吸の数です。
作用あれば反作用で18を倍にすると、熱エネルギーになり36になります。これが私たちの基礎体温です。
私たちの生命体熱(マグマ)は、
頭の中心から尾てい骨までの間38℃です。
母親の羊水の温度は37.5℃です。胎児の体温は36℃です。
36℃を倍にすると、72℃になります。これは脈拍、血圧の下限です。
72を倍にすると、144となり血圧の上限です。
これだけの心拍の幅はあったほうがよいのです。


PART2 自然のしくみと生命の潮流

地球上のすべてのものが循環し、蘇生するためには、なんらかのエネルギーが必要です。
 われわれの体の中でもっとも重要なエネルギーを溶かしこんでいるのは血液です。
血液を運び、動かしているのは心臓です。
その心臓を動かす生命エネルギーは、どこからもたらされるのでしょうか。
口と鼻からたえず体に注ぎこまれる酸素、心臓を動かす役割を果たしているのが肺の臓器です。
その一連の過程が「呼吸」です。
それは眠っていても起きていても規則正しいリズム、一分間に18回の呼気と吸気とをくりかえしています。
不思議に思いませんか? なぜ、一分間に18回なのでしょうか?
私たちの人体の生理をつかさどっている秩序を追求していくと、
大自然のしくみの偉大なメカニズムが不思議に思えてきます。
「人間と地球」「海と生命」「宇宙と地球」
それぞれは、個であって全体であり、全体であって個であるひとつの「生命体」であることがわかります。
大自然の偉大な愛と調和によって、私たち人間は生かされているのです。
人間そのものが小宇宙といわれるゆえんです。

大気と海と太陽、そして月の恵み

 ともあれ、太陽エネルギーによって、熟せられた海から蒸発した大気圏の気体は、
地球の両極の熱さと冷たい気体との対流で、海の水は雲と化し、雨や雪になつていきます。
その水の分子は水素と酸素とからなります。
そのプラスとマイナスのイオンの両極には親和性があります。
地球の引力によって作用と反作用で循環する水…‥。
水は水素(H2)と酸素(O)の化合物です。
H2の分子量は2.0の分子は16、ちなみに水の分子量は18となります。
18には生命活動にとって深い意味があります。

波と人の呼吸は、なぜ一分間に18回なの?

 水の分子の数は18で、世界中どの国の浜辺に寄せる彼の数も一分間に18回です。それが私たちの呼吸の数です。
作用あれば反作用で18を倍にすると、熱エネルギーになり36になります。これが私たちの基礎体温です。
私たちの生命体熱(マグマ)は、
頭の中心から尾てい骨までの間38℃です。
母親の羊水の温度は37.5℃です。胎児の体温は36℃です。
36℃を倍にすると、72℃になります。これは脈拍、血圧の下限です。
72を倍にすると、144となり血圧の上限です。
これだけの心拍の幅はあったほうがよいのです。

生命のかなめ、心臓の働き

 私たちの心臓の外側には心包絡があって、その上にチョウの羽のような肺が肺葉となってかぶさっています。
肺は呼吸するときに作用と反作用の運動によって熱エネルギーとなります。
それが先ほど述べた基礎体温です。
その体温は、心包絡および交感神経と副交感神経の自律神経系を刺激し、
その作用が大脳に伝えられると、大脳は心臓にその働きを命令します。
そこで心臓の収縮と弛緩運動が初めて開始されます。
この心臓の運動の速度は先ほど述べた一分間に72回、つまり脈拍の数になるわけです。
 現代の生理学では、心臓は自律神経の伝達によって運動すると教えていますが、
かならずしもそうではないようです。神経は熱エネルギーがなければ伝達しません。
エネルギーがあって初めて命令が伝達されます。
つまり血液の中にエネルギーを伝達する超微量の金属元素が存在しなければ、
酵素の生産はおろか、ものが動いたり感じたり、循環し蘇生したりするという説明はつかないと思います。
だから、超微量金属元素を多量に含有した抗酸化・還元塩の「EM蘇生海塩」が必要なのです。
官有謀氏はつづけてこうも言います。
「心臓は、血液循環のかなめであり、心臓が持動して血液を循環させています。
地球には引力があり、その引力によってすべてのものは高いところから低いところへ落ちる。
つまり引力の助けをかりて、血液の循環が行なわれているというわけです。
したがって、心臓が身体の上部(四分の一の部分)に置かれているのは、実に大自然の法則にかなっているわけです。この世に存在するのは、すべて宇宙の一部であり、かならず宇宙の影響を受けて呼吸し、心臓を動かしているのです」
 人間は左側に大切な心臓を抱えているため、とっさの行動のときは、
ほとんど左側に寄ってゆくことが統計的に報告されています。
競技場を走るときも左まわりだし、人間が道を歩くときも自然に左側に寄っています。
これが人間の行動科学の基本です。

生命の誕生と終わり

 むかしはいまのように、病院でお産をすることはありませんでした。
ふつうの家で産湯をわかし、出産のときは助産婦さんが赤ん坊をとりあげました。
これがふつうの家で行なわれるお産の姿でした。沖縄では終戦直後までつづいていました。
産まれたての赤ん坊が、呼吸もせず泣き声も上げないことがあります。
これはよくあることですが、そんなとき助産婦さんは赤ん坊の両足をつかんで逆さにつるし、
そのお尻をたたきます。赤ん坊はたちまちオギャーと泣き出してから呼吸をはじめます。
逆さづりになったら、肺がグラッと下がり、鼻の穴が上を向きます。
そこでお尻をたたいて振動させると、鼻から容易に空気が入り、肺葉が開いて呼気と吸気の開始になり、
生命誕生になるのです。この情景は実に感動的です。
助産婦さんたちは、このことをよく知っていました。
赤ん坊はこうして実に神秘的に息をはじめるのです。
赤ん坊はけっしてすぐにオギャーと泣くわけではありません。
たたかれて顔がふるえた瞬間、オギャーと泣き出すのです。
これは、呼吸で空気が赤ん坊の肺にふれ、膨張して呼気と吸気が完全に開始された合図なのです。
まさしく人生ことはじめ、象徴的瞬間です。
ことほどさように生命にとって大気は大事であり、生命はそれぞれ自分勝手に生きているのではなく、
まさに大自然の力によって生かされていることがわかります。
だからこそ、生命は尊いのです。
 では、人の死にゆく姿はどう説明すればよいのでしょうか? 
息を引きとるとは?
 人間は肺機能が弱ってくると、息をする力がなくなり、呼吸がしだいに弱まり、遅くなります。
潮が満潮に向かっているときにはその機能は小康状態をつづけますが、
潮が引きはじめると体温もだんだん下がり、ついに肺は機能を失い、呼吸も止まります。
そののち心臓が終止符を告げるのです。そして虫の息になります。
一般的には、先に心臓が止まってから死ぬのではないかと思われがちですが、けつしてそうではありません。

血のめぐりと第二の心臓

体のしくみ、内臓の並び方を人体図で見ながら稿を書き進めていますが、
胃の上に左右の肺があります。それら大切な臓器の上に囲われるように心臓があります。
全身を四等分し、頭から四分の一の高さにあります。
この位置に心臓があることは、まさにサムシング・グレートの業としか表現できません。
このことは、人体と宇宙が一体であることを意味します。
人間がまさに完壁に設計されたものであることを確認できます。
 地球に引力があることを発見したのはニュートンです。水は高いところから低いところへ流れます。
この当たり前のことが、人体においてもきちっと働いています。
 内臓から押し出された血液もまた、地球の引力の影響下にあります。
心臓のポンプから押し出された血液は、一方は一番近い頭上に噴水のように押し出し、
心臓の下方には、それこそ引力の力によって、血液がスムーズに足先まで下りてゆきます。
 心臓の上部にあるのは、収縮したときに押し出された血液は、
その上部の脳細胞にすぐさま血液が上がれるようにするためです。
脳細胞は体の三分の一から少なくとも五分の一の酸素を必要とします。
これで頭に血がまわっていくのです。
あとの血液は、まさに高いところから低い足下に向かって引力の力でスムーズにめぐつていきます。
このことからもわかるとおり、心臓の位置は地球の引力との相関関係にあり、
こうして血液の循環によって生命の根元である血液の栄養分と酸素を全身に運べるのです。
だから五分も息を止められれば酸欠で人は生きていけません。
 全身に血液を循環させてゆくのは動脈です。その血液は毛細血管まで運ばれます。
人体の血管の長さを測ると、一〇万キロもあるといいます。きれいなサラサラした血液は、
最先端で静脈の毛細血管とつながっており、ここでガス交換をします。
一分後には動脈で運ばれた汚れと炭酸ガスが含まれた血液は、
それを再生するために、腎機能や肝臓・牌臓等々の各臓器との連携プレイが欠かせません。
そして蘇生された血液が心臓に運ばれるのです。
 血液の一〇万キロに及ぶ旅は、心臓が弛緩状態にあるときは、
心臓は水を汲み上げるポンプのように真空になり静脈の各所にある逆上昇が機能し、
血液は心臓へ心臓へと善循環するようになつています。
そしてむかしからいわれるように、足裏はまさに「第二の心臓」 です。
 地面を踏んだときに、そのツボの作用によって血液を力強く押しもどす大切な働きをします。
だから、たえず足の裏を解放して刺激する必要があります。
海辺の砂地やジャリ石のところでは可能な限りはだしになつて歩いたほうがよいでしょう。
そして、血液の循環を阻害する体に帯電している電磁波(静電気)も、はだしで歩くことによって、
いとも簡単に足の裏から消去・放電されます。
寝たきりは、足心を濃い還元型の塩水でもみます。
 人間は疲れたときに、夕タミなどの固いところに横になります。
これは血のめぐりをよくすると同時に背骨を撃えることにもなります。
横になつたときに金魚運動″をしたり、脚を上にしてゆさぶることも疲労回復につながります。
ニュートンの引力の法則を活用するのです。
膝から足の裏までよくもみほぐし、EM・]と還元塩でつくつた海水をすりこみ、
足裏の血のめぐりをよくし、塩気の効いた食事をとることで寝たきりの人は起き上がります。
 私たちの体は、四分割して考えるとよく説明できます。官足法の基本原理です。
 一、心臓から足の先まで
 二、心臓から股のつけ根まで
 三、股のつけ根から膝のところまで
 四、膝から足の裏まで
 人間は血液に超微量ミネラルや栄養と酸素が満たされていれば、酵素の生産もスムーズで
体液(血液・リンパ液)も活力に満ちて元気そのものです。
そして血液も抗酸化力や還元力にも富み、あらゆる病の元凶である活性酸素をうまく消去したり、
健康的に調整してくれます。
 ところで、健康な体には脈がとれる個所が四か所あります。
第一は頭の横のコメカミです。
この耳の上にあるツボは毛細血管が集中分散していて、その分岐点で脱が打っています。
第二は鎖骨のある部分。
心臓から血液が動脈を通過する分岐点にあたり、息を引きとるまで脈打っています。
第三は手首にある脈で、お医者さんが脈を診るときに使う手首です。
そして第四は、官足法や海洋&長寿科学でもつとも大事に扱われている脈です。
足のくるぶし骨の内側下部と甲部の内くるぶしと外くるぶしの間、
つまり、足首を曲げるときにできるくぼみの部分にあります。
 寝たきりの老人などでは第一の脈もとれないほど弱っている場合がありますが、
近年、第四の足のくるぶしの脈を打っていない人が多くなつてきています。
生命体熱が低い人もこの脈はとれません。血圧の循環がとだえ、足が十分機能していないのです。
 これにはいくつか原因(薬物の副作用で生体での酵素の生産がうまくいっていない等)がありますが、
超微量の金属元素やビタミン、アミノ酸、脂肪酸等々の欠乏による腸の老化によって、
血液がよごれ生命エネルギーが低下していることが考えられます。
また足の裏を解放して歩かなくなつたこととも関係します。

PART4 生命体熟は地球のマグマ

生命体熱とエネルギーの循環
元気でエネルギーに満ちた健康的な体の中の生命潮流は勢いがあります。
宇宙にしても地球にしても、森や田畑にしてもすべて生命エネルギーは循環しています。
川でも泉でも「流れる水は腐らない」のたとえどおりです。
人間の体だつて同じです。
気の流れ、体液(血液・リンパ液)、ホルモン、神経の流れが正常であれば健康ということになります。
この流れをつくつているのは「食」です。
食とは広い意味の栄養条件です。広義の環境を意味します。
 口から、皮膚から、吸気から入るすべての栄養です。
水や光・空気・炭水化物や脂肪やタンパク質や塩、微量ミネラルの金属元素までも含みます。
動脈が体のすみずみまで栄養や酸素を運びます。
静脈は動脈がもちかえつてくる老廃産物、炭酸ガスまで肺や脾臓、腎臓などできれいにしていきます。
 精神的ストレスは、人間を善循環障害に導きます。
そして血液を酸化させていきます。
人間に必要な栄養素(微量ミネラルを含めた金属元素、ビタミン、センイ、アミノ酸、脂肪酸等)が
足りていれば「脳中枢・脊椎・骨細胞」の生命体熱は38℃あります。
循環障害である冷え症の方の生命体熱は同じ38℃ありますが、手足が冷えています。
手足の低いところで28℃、腕の中間で32℃、太ももで34℃しかありません。
足のくるぶしの脈も打たないのです。
 手足が正常な生命体熱を保つには、タンパク質や脂肪もエネルギー源のひとつとして大切ですが、
基本はなんといっても塩分と微量ミネラル、
極微量金属元素などをすべて含んだマルチ・ミネラルが絶対に必要不可欠です。
生体の酵素が生産できていないと体熱は正常に保持できません。
人間は39℃とか40℃もの高熱を発熱すると大騒ぎするのに、
病の引き金になってゆく、低温体質になつていることに無神経です。
この低温体質を放置すると
痴呆症や立ちくらみ、貧血、低血圧、冷え性など女性特有の疾患の原因のひとつにもなってゆきます。
また低温体質はエネルギー停滞状態ですから、電磁波(静電気)も帯電しそのため、
ちょつとした軽いストレスの害も強く受けやすくなります。
腸内の細菌叢(細菌フローラ)も均衡がくずれて消化器官も十分機能しないのです。
自律神経(交感神経・副交感神経) のアンバランスをきたす低温体質は、
生命エネルギーの通りも悪くなっているので、応急的な治療方法としてマルチミネラルの補給と
発汗による毒素の排泄、自律神経系統への注熱(体液の循環・生体磁気を高める)をし、
エネルギーの通り道を助けることによって酵素も強化され改善されます。

完全にデザインされた生命体

 人間の生命体は、信じられないほど見事に設計された完壁な構造であり、
その機能性まで考えるとただただ驚くばかりです。
@海の化身の骨の構造
 人類が海から陸にはい上がったとき、体内に海を保持するために、海が骨に化身してその骨が生命を支えています。その骨の形や大きさはさまざまで、それぞれの働きに合った形や大きさをしています。
頭の骨は平らな骨が円形状にがっちりと組み合わさってできていて、大切な脳を守っています。
体を支える背骨(脊椎)は、たくさんの骨がつらなり、
ゆるやかな曲線を骨と骨の間の椎間板が大き衝撃をやわらげる働きをしています。
背骨を胸の部分でつなげている竹聖のかごのような胸部(肋骨)は、肺や心臓を守ります。
骨盤は大腸、小腸などの内臓を包みながら守る役目を果たします。
人間が四つ足から進化して二本足になって大きく進化したのが、骨盤だといわれています。
四本足で活動していたころに発達していた骨盤は、直立するようになつてかなり狭くなってきました。
哺乳動物の中で人間だけが未熟児で出産をよぎなくされています。
ほかの動物のように、生まれてすぐ立って歩けないのです。
胎児が歩けるほど大きく成長すると、胎児が出産のとき骨盤から出られなくなってしまうからです。
足の骨は、爪先からかかとに向けてアーチ状になっています。
体重をささえ、歩いたり、飛んだり、跳ねたり、走ったりするときの衝撃を吸収するように設計されています。
もっとも小さな骨は、左右の耳の中耳にある耳小骨です。
あぶみ骨・きぬた骨・つち骨という名前の三つの骨がセッたなっていて、
鼓膜で受けた音波を内耳(耳の奥)へと伝えます。
A忘れ去られていた「仙骨」
人間の体の構造を調べていて驚ろかされるのは「仙骨」の存在です。
現代医学の解剖所見によると、「仙骨は可動性のない、一枚の瓦状の軽い骨格」ととらえられています。
ところが、「仙骨を人間の生命活動の中枢である」と唱え、
「ペインレスメソッド」(完全無痛療法)の創始者として著明な内海康満氏によると、
「現代医学が骨盤の中央にある模型の骨で、左右の腸骨と耳状面で不動関節を形成する骨であると
固定的に解明したことによって、仙骨はいわば人間生活の表舞台から姿を隠されてしまった」というのです。
内海氏の研究によると仙骨は軟骨のよう柔軟な骨喜だというのです。
そして人間が死んだときに変化して堅い骨に硬直化するといいます。
だから、誰も生きている柔らかい仙骨は見ていないのです。
仙骨は私たちが考えている以上に大切な骨で、交通事故でも仙骨がくだけていたら
100パーセント助からないといわれています。
仙人の骨と書いて仙骨という文字に育ます。
古い辞書によれば仙の字は薦とも書かれて「薦菅」と書き表わされています。
仙人の「仙」は確かに不思議な生命力をもっことを意味するし、
「薦」の字は神に供えるもの、いわば神聖なるものの代名詞という意味があります。
仙骨はエネルギーの中枢機関なので、むかしから東洋医学では、その部分にハリを打ちます。
また宗教的にも大切にされている部位です。
 このように、仙骨は縄文時代から、人体の中でも格別の存在として認識されてきたことが感じとられます。
いわば生命活動のみなもとであるというわけです。
ひょっとすると私たちが、直観力でひらめいたりするときの振動波の受発信の情報を得ることと
直結しているのも仙骨かもしれません。
 地球は磁石を形成しています。磁器コンパスで南北を示すのはそのためです。
同じように私たちの体も六〇種以上のイオン化した金属元素をもっています。
これも電磁波の振動波を保持していますので、
当然のように人体は電磁波(静電気)が帯電していない限り、磁気を帯びています。
それによって形成されている範囲を「生命(体)磁場」といいます。
酵素も元気よくつくられます。
 このように生命に存在する生体磁気は、人間など骨格をもつ動物は骨に一番強く帯電します。
これは人間が海から陸にはい上がって、陸で暮らすために海を抱えることになりました。
固定化した金属元素の貯蔵庫である海の化身が骨に進化したのです。
血液は動く原始の海です。
海水には八三の元素が溶けこんでおり、人体にも相応の元素があるのはそのためです。
私たちが、白砂糖を摂取すると骨のカルシウムが失われてゆくのもそのためです。

第3章 塩が人の運命を左右する  PARTl 民俗学から見た食・塩・長寿

運命を好転させるツキを呼ぶ塩
 この世にはツキを呼ぶ塩とツキをにがす塩があります。
いわば運命と関係しますが、運命という熟語は「命」を「運ぶ」という意味です。
 人の運命は、天変地異や戦争などにほんろうされてきた歴史をもっていますが、
現代の日本にあっては、その人の徳分や生き方、とくに健康か病気かで決まってきます。
 人生は健康が目的ではないのです。
 ところが、人は健康を失ったとき、すべてを失います。
つまり、健康こそ人生最大の宝だといえるのです。そのキメ手になるのが塩です。
「たかが塩だ」という人もいるでしょう。
しかし、比嘉照夫教授が巻頭で書いているとおり、塩には運命を悪いほうに導く悪魔の塩と、
幸福に導く神様の塩が本当に存在するのです。
 悪魔の塩は、体内の活性酸素をコントロールすることができず、血液をたちまちのうちに酸化させます。
人体は血液さえサラサラときれいに流れていれば、健康でいられます。
つまり、悪魔の塩と縁を結ぶと人はいつしか不幸の道に踏みこんでいってしまいます。
ガンなどの痛気に侵されてしまいます。
 その反対に神様の塩と縁を結ぶと、血液は酸化から身を守り、
たとえ汚れていたとしてもたちまち抗酸化・還元の方向へ、つまり蘇生へと向かうのです。
 塩水に鉄のクギを入れておくと、まっ赤にサビます。当たり前だと思います。
ところが、鉄クギを入れてもまったく酸化せず、クギを守ってサビさせない塩が存在する、
といったらきっと多くの読者は驚かれるでしょう。
 前者が悪魔の塩、つまり人間を不幸な痛いの道に導く塩です。
後者が神様の塩で、人を病いから守り、癒し、その人の運命を好転させる塩です。
あなたはどちらの塩を求めますか?
 まさに人の運命は、塩の気、つまり「縁起」で決まってしまうのです。
 あいだみつお師の言葉に
「人生 いつどこで どんな思いで 人と人とが出会いどんなおつき合いをするか 人生これで決まる」と
いうのがあります。これは人と人との「縁」 のこと、出会いのすばらしさ、そして尊さを説いた言葉です。
しかし、出会うのは人だけではありません。
書物との出合い、物との出合い、食との出合い、そしていのちを支える塩との出合いがあります。
 たかが塩、されど塩なのです。だから、よき神様の塩との出合いを祈るのです。

塩が民族の体質、パーソナリティをはぐくむ

私は三十数年問、いのち、そして塩にかかわってきました。
そのつど質問されました。どこの国のどの塩が一番よいのですか? 
食の基本中の基本は「塩」です。
したがって、塩を語ることは民俗学そのものなのです。
その国の民族が古代から食べつづけてきた塩で、その民族のいのちははぐくまれてきました。
ですから、国家間の塩の優劣を論ずることは、民俗の尊厳にもかかわり、かんたんには語れないのです。
「食」という字は「人」に「良い」と書きます。
まさにそのとおりで、その国の風土、環境、水、塩がその民俗を育ててきたのです。
その国その国で生きている塩にだからこそ優劣の順位をつけるべきではないのです。
私は、塩も民俗学そのものだと説いています。
 ヨーロッパでも、ドイツでは岩塩を精製した塩が中心です。
岩塩を中心とした食文化があのゲルマン民族とその文化をはぐくんだのです。
 私がかつて、『これが正しい自然塩の選び方』(報知新聞社刊)を出版した直後、
東京都青梅市に住む読者の江嶋達郎氏から、一通のファクシミリをいただきました。
「フランスの天日塩は、ミネラルがたしかに豊富だと思います。
しかし、なめてみると額に縦じわが刻みこまれるようで、なごみが感じられない。
逆にいやな緊張感におばそわれるだけでした。それなのにどうしてこんなに価格が高いのだろうか?
考えてみると、
肉食文化特有の陰湿さを(優しさの)裏にあわせもったヨーロッパ的土壌やフランス人的イメージが、
この塩からうかがわれるような印象をそのときもつて、妙に納得したように思います。
 太平洋の島々の天日塩は、なめると縦じわではなく、
逆に筋肉がほころんでくるようななごみやあたたかみがあって、
いかにも(ハワイなどの島々のヤシの木やハイビスカスの花、白い砂、青い海原)、
南洋のゆったりとした民族性をうかがわせるような印象をもったものです」
(ハワイの天日塩には溶岩からのミネラル含んでいます)
 この感想は、まさに納得のいくものです。
おそらく江嶋氏が手にしたフランスの塩
というのは、比較的こガリの強い天日塩であっただろうと思います。
塩の花(フレーク・ソルト)には、あれほどのきつさはないからです。

生命誕生にも必要不可欠な微量ミネラル

一個の精子と卵子が、夫婦の愛のいとなみによって受精卵になってゆく過程は神秘的です
。受精後数週間の短いあいだ、一個の細胞であった受精卵は、分裂をくりかえしながら、
ゆつくり人間らしい精密な固体を形づくつていきます。
これが妊娠の初期です。
妊娠初期の八週日までは「胎芽」と呼ばれ、九週目から「胎児」と呼ばれます。
 胎芽期は神経系や目、心臓、手、足などが形成され、同時に人間としての骨格、各臓器の形成期です。
つづく胎児期になつて各器官は目に見えてさらに発達し、
組織がホポトーシス(細胞死)して分化し、成長をつづけます。
 胎児期は、生命誕生のドラマのなかで、もっとも劇的な進化をくりかえします。
先にも述べましたが、魚類⇒両生類⇒爬虫類⇒噛乳類と短期間に何倍年もかかってつちかわれてきた、
生命の系統進化の道程をくりかえします。
 こういう時期に塩化ナトリウムのみの精製塩、悪魔の塩を取ることは、胎児にとてとても危険です。
健康な成長を阻害されるおそれがあるからです。
自然海塩でさえ、マグネシウム塩が重量比で0.75%以上であれば、発育障害をもたらすおそれがあるのです。
そのころ、母親がたとえひと晩でもお酒で酔っぱらうことは、
胎児の生命進化の歴史的時間・空間的経過から見て、胎児を二〇〇〇万年アルコール漬けにしたことを意味します。
胎児の遺伝子を深く傷つけるおそれがあります。
それでは、胎児をはぐくむ「羊水」がどこでつくられるのでしょうか。
これについてはまだわかっていません。わかっているのは、極度な減塩や精製塩を取りつづけると、
肝心の羊水がつくれないのです。
アメリカでは、帝王切開を防止するために、妊婦によっては、
おなかにリンゲ〜氏液(食塩水)を注入する処置がとられることがあります。
 妊娠中の母親の食生活はとても大切で、
ツワリが起こるのも塩分や超微量ミネラルの欠乏がもたらす現象のひとつなのです。
 胎児が農薬や食品添加物、医薬品の副作用などの影響を受けるのも、ちょうどこのころです。
細胞分裂と分化が盛んな胎芽期は薬剤だけでなく、
化学調味料や白砂糖、]線や合成洗剤に含まれる遺伝子撹乱物質も避けなければならないのです。
うまくそれらの生体酵素、活性酸素の誘発によって、胎児の細胞のひとつひとつが傷つけられます。
そのため、赤ちゃんは生まれながらにして奇形児になってしまうのです。
まさに生まれてからでは遅すぎ、細心の注意が求められます。
 丈夫で健康な赤ちゃんの誕生のためにも、微量ミネラルがたっぷり含まれた「EM熟成塩や蘇生海塩」を用いて、
食生活全般を可能な限り安全なものとし、その民俗固有の伝統的な自然食を食べることを強くお奨めします。

聖人は一日一食、賢人は昼・夜の二食

むかしから、「腹八分目に医者いらず」といいますが、けだし名言です。
これからの新世紀の時代は予防医学の時代だからです。
 なぜ、人間はこれほど飽食の時代だというのに、食に飢えているのでしょうか?
現代の食物、調理法が理にかなっていないからです。
たとえば現代の食生活は、おいしいところだけを食べ、あとはみな捨ててしまいます。
植物なら繊維のあるもの、皮・根・菓、魚ならウロコ・内臓・皮・骨・頭など、
一物全体みな栄養源なのですが、ほとんど捨ててしまいます。
この捨てられている部分に、実は還元力の強い大切な超微量ミネラルが含まれているのです。
 動物タンパク食品の過食も問題です。
酸化型の精製塩、バター、チーズといった洋風化した食品を摂りすぎています。
栄養価、カロリーといった生半可な机上の理論にとらわれるあまり、人間の生理をまったく無視しています。
 これでは過食になるはずです。一食は抜いたほうがよいということになります。
そこで、私は、人類の歴史や食形態の調査、生体酵素の使われ方、食べたものの排泄まで考えて、
朝食は廃止し、一日二食が健康によいという結論に至りました。
一日二食論を主張されている方々には、現代医学や血液生理学・長寿科学の大家である森下敬一医博、
断食療法で有名な甲田光雄医師、また外科医としてアメリカで大活躍されている新谷弘美医博
(アルバート・アインシュタイン医科大学教授)といった方々がおられます。
 ところが、マスコミも文部科学省も、
めずらしいことに教育上問題があるから、朝食はきちんととるよう指導しています。
「朝食抜きは頭脳労働者には向くかもしれないが、発育盛りや筋肉労働者、漁民、農民には向かない。
また朝食廃止は、埋め合わせにそれだけ昼食を多量に食べるから、胃拡張になつたり、ただ太るだけ」と
いう反対論者もいます。
これは人間の生理をガソリンエンジンと混同した機械論で、栄養、消化、合成、元素転換、
排泄といった人間の生理についてまったくわかっていない無知からくるものです。
 現在、朝食抜きの生活をして健康にすごしている方が、少なくとも一〇〇万人はいます。
日本国民の大部分が朝食を廃止すれば、病気は半減し、疲労、肩こり、神経痛、
倦怠、胃腸病、便秘などがなくなり、血液もサラサラしてきます。
これは実行している方の共通の感想です。
むかしから「聖人は一日一食、賢人は昼と夜の一日二食」といわれてきたのです。
 新谷医博は「朝食は百害あって一理なし」と言っています。
同博士は、仮に朝食を食べると排泄もままならないばかりか消化に余計な酵素が使われ、
人間の臓器は休む間もなく、血液はにごるばかり、疲れやすく腸内細菌も不安定になると言っています。
 朝食が有害であることを医学的に証明した実験を参考までに紹介します。
(スーリエ氏尿の実験)この実験は、尿に排泄される体内毒素量の多少をエオジン酸溶液を使って、
沈澱物の質量を測定値で感知するものです。
 尿中の毒素の割合
一日三食者の毒素量………七五%
 朝夕二食者の毒素量………六六%
 昼一夕二食者の毒素量………一〇〇%
一日一食者の毒素量………一二七%
 毒素排泄量からすると、一日一食がよいというのは学問的に証明されています。し
かし、現実の問題として、ここまできた近代社会においては朝食廃止の二食主義が、
私の体験ではよいのではないかと思います。
超多忙なときや体調コントロールで一日一食のこともありますが、体調はすこぶるよいのです。
そのことをふまえてそれぞれの立場で判断されるとよいと思います。

とりかえそう、二000年の食文化

「それでも塩は少なく取るほうが望ましい」と、多くの医師や栄養士が言います。
しかし、私が全国を講演してまわって思うことは、十数年前とは状況が大きく変わってきたことです。
多くの食品スーパーや百貨店、食品専門店の店頭でさまざまな自然塩が目につくようになりました。
国民ひとりひとりが塩の品質に大きく関心をもつようになつたのです。
 二〇〇一年七月、私は数年ぶりに北海道で講演しましたが、
実に多くの方々が精製塩から自然塩に切り替え、そしてその違いを自分の体で、そ
して漬物や味噌づくりで試していました。
 ギリシャの医聖ヒポクラテスは「自然が病いを治し、医師はその代金をいただく」と言ったとか、
「医を信ずれば、その痛い癒えず」といったむかしの人のユーモアではありませんが、
自分の体は自分で守らなければいけないということを真剣に考えはじめているのです。
すべての病いは「生活習慣病」なのですから……。
 その具体的な現象として、国民の目が健康食品に注がれていることです。
その背景に一億半病人といわれる病める日本の現状があります。
こうした背景にはさまさざまな要因がありますが、
とくに工業化された社会でますます猛威を振るう加工食品の登場があります。
伝統的な日本型の食生活から遠ざかり、化学調味料なでを多用した加工食品が多数出まわつています。
日本の風土にマッチした、二〇〇〇年の歴史のなかで培われてきた日本型食文化がどんどん失われている現状です。
一人あたりの肉の消費量が日本の数倍という欧米の食生活。
その欧米で発達してきた摂取カロリー第一主義の近代栄養学。
それをそのまま受け入れたことに根本的な間違いがありました。
それが私たちの食生活の基本になっているのです。
塩の取りすぎは高血圧の原因″という考えは、肉食中心のアメリカで発表され、世界に広がりましたが、
いまでは遅ればせながらブレーキがかけられつつあります。
 肉類の中には、タンパクナトリウム、つまりナトリウム塩が含まれているものがあります。
またパンを焼くときには、塩化ナトリウムが使われています。
ですから、食塩をこれと別に取りすぎると、明らかなナトリウム塩過剰になってしまいますよ、というものです。
 私たちの食生活はかなり欧米型になったとはいえ、ここにきて米のご飯が注目され、
海草、野菜、魚介類を多く食べています。
このような食生活は、カリウム型の食生活であり、
今後は海からのミネラルをたっぷり含んだ蘇生海塩を摂取することによって、
体液(血液・リンパ液)の塩化物、ミネラルのバランスは正常に保たれることでしょう。
 野菜や果物だけではなく、塩を取らなければ何の意味もありません。
野菜や果物だけだと、かえつて血液中のナトリウムを奪い、毒になってしまうのです。
 新谷弘美医博は、いま「日本では肉食がふえ大腸ガンが多くなっていますが、
上層部のアメリカ人は日本型の食生活を取り入れてきています」と報告しています。

脱塩状態でふぬけになった日本人

 塩の摂取量と高血圧の関係が取り上げられるようになって以来の減塩運動が効を奏して、
塩の年間消費は急速に落ちています。
 わが国の人口は約一億三〇〇〇万人。一日摂取量を一五グラムと仮定して計算すると、
年間約七〇万トンの塩を必要とします。
これは漬物・味噌・醤油・その他から摂取する塩も含めています。
私が塩問題にかかわった三〇年前の食用塩の消費量は、約三八万トンだったと記憶しています。
先ほどの財務省の最新データでは、その消費量二五万九〇〇〇トンですから、
この三〇年間になんと二一万一〇〇〇トンも塩の消費はダウンしています。
 驚くべき数字というべきで、減塩推進者たちは拍手かっさいでしょうが、
現実には病める国に向けてばく進していると言ってよいでしょう。
 塩減らしがここまでくると、国民のいのち、健康はたいへんあぶないのです。
最近、毛髪分析や血液検査から、国民の脱塩状態を警告する心ある医師もいますが
まさかこれほどとは、誰も気づいていないのです。
 若い男性たちに元気がない。
若い女性にしても無理なダイエットなどによる貧血、冷え性、起立性障害症の立ちくらみ、生理不順、
不妊症、朝起きられない、肩こり、疲れやすいといった人たちが急激にふえています。
 老人性痴呆症も、以前は約三五万人でしたが、化学塩を取り、減塩をつづけていれば、
二〇年後には、七〇万人を突破するだろうと予測していました。
これも予測をはるかに超えています。
 旧専売公社時代、「塩業近代化臨時措置法」が立法化されたのは、忘れもしない昭和四六年一二月です。
この法改正によって、それまでつづいていた流下式枝条架方式の塩田による塩づくりは、
世界で初めてのイオン交換膜による電気透析法、つまり化学製塩法に切り替わったのです。
 従来の製塩法ではコストが高くつくからコストの安いほうにする、といった当時の官僚たちの発想です。
もうひとつ、政治家もまったく気づかなかったのでしょうが、
塩・タバコ・酒の取り扱いはかつて大蔵省の管轄、いまは財務省ですが、
本来なら農林水産省の管轄であるべきでした。
国民のいのちにかかわる塩、当時の厚生省はこれをチェックできませんでした。
ただただ塩業の赤字を解消するという算術のみで、法律が改悪されたのです。
厚生省の罪は、化学塩の製造販売を許したこと、減塩運動を野放しにしてきたところにあることを、
忘れるべきではありません。
 塩田塩から化学塩へ、そして減塩ですから、わが国の立法府の責任はまことに重いのです。
まるで国民のいのちを使って生体実験をやっているような気さえします。
当時、ヨーロッパの学者たちさえ、塩田製法から化学塩への切り替えに強い疑問を提示していたのです。
一方、今日の医学界をこんなブラックユーモアで表現する人がいます。
「生かさず、殺さず、寝たきりにさせる」。いまの病院経営はどうでしょうか。
「塩を減らせ、できれば五グラム以下に」
しかし、本当にそんなことをすれば、血液の塩分濃度は〇・二%にまで落ちてしまい、病人は死んでしまいます。
 これほど塩分を軽視する病院でも、救急患者には、舌の根もかわかないうちに、
塩を原料とする「生理的食塩水」を点滴します。食塩水を注射するのです。
 大切なことは減塩ではなく、正しい塩選びなのです。
二〇〇二年四月から、塩専売法は完全撤廃になります。
誰でも自由に塩をつくり、売ったり、買ったり、輸入することが許されるのです。
これを機会に、塩について、徹底して知識を深め、広めることが重要になつてきます。
先に紹介した青木氏によれば、世界的に著名であるイギリスのピッカリング博士は
「減塩をしすぎて死亡した人と、食塩を取りすぎて死亡した人の数は、どちらが多いかわからない」と、
減塩信仰を嘆いています。
 減塩の本当の怖さは多量元素、とくに塩化ナトリウムの陰イオンの塩素欠乏につながることです。
胃に入った食べものは、胃の中の酵素と塩酸で分解され殺菌されますが、
塩が不足すると、この機能が弱まります。
さらに、体内に入った病原菌、たとえばチフス菌やコレラ菌、サルモネラ菌、赤痢菌、黄色ブドウ球菌、
連鎖球菌、緑膿菌などを殺菌する役割を果たすのは活性酸素ですが、
これも主役をつとめるのは酵素と塩素ですから、塩が欠乏すれば、どういうことになるか、想像できると思います。
女性の生殖機能のひとつである子宮にしても、水素イオン濃度、pH値は二・五〜三という強酸性ですから、
ここにも塩化物である塩酸が深くかかわっているのです。