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「正食と人体」第二章 一倉定著 

塩こそは生命のもとぞ その昔 生命海から生まれたり

人々は塩のことをよく知らない

連載も第3回目となり、回を追うごとに読者の方々の反響も大きくなってきました。特に前回の「塩をとりたいだけとるべし」という、
素人の常識を覆す主張は衝撃的でした。
今回はその正しさを、
多くの実例で実証します。
      一倉経営研究所所長 一倉 定
卵醤をとったら
大谷さんの手紙(花粉症と中耳炎) 前略失礼させていただきます。
 先日は本当に有難うございました。 先生に卵醤油をお教えいただきまして、
 うれしくてうれしくて、あの日より、マスク、眼鏡は一切やめました。
 目は一週間ぐらいしてからスッキリ、鼻は 少々遅れてクシャミは無くなり、痔さは少々残りました。
 まあ可哀想にと、花粉症の人を見ては、反対に私が同情する様になりました。
 昨年六月に中耳炎になりまして、夏も冬も中が桂くなっては、ブジュリブジュリと臭い汁が出まして、
 聞きとりは悪く、頭の上を袋で覆っているような感じがしてました。
 別に治療等しておりません(注射と薬が大嫌い)でしたが
 一週間位前から乾き始めまして壊さも感じなくなりまして……
 これも皆卵醤油のおかげと感謝いたしております。
 昨年まではまだもう何日と空を見上げては晴天をうらめしく思いましたのに……。
 でも今年の桜は顔丸出し≠ナ眺めることができました。 本当に有難うございました。
 お礼が遅〈なりまして申しわけございません。 どうぞご自愛の程お祈り申しあげます。t
                 かしこ 大谷京子

 何と、中耳炎は卵醤で治るのである。中耳炎は塩分不足で起こる病気なのだ。
手紙の主の大谷さんは、山口市の米山荘に勤めておられる。
私が初めて米山荘に泊まった時、お客さまとの夕食時に私の悪いクセで、
機会があると食事と健康の話をするっ皆さん結構喜んで聞いてくださり、いろいろな質問も出る。
 その席で、サービスをしてくださっていた仲居頭の良栄さんが
「実は私のところの従業員に長年ひどい花粉症で苦しんでいる人がいる。
 花粉症の時期には終日マスクをしており、部屋の掃除には窓を全部閉めてしまう。
 ティッシュペーパーは大箱を一日一個使い切ってしまうほどで、かわいそうで見ておられない」
とおっしゃる。「では、この場で治してあげましょう」と私はその人を呼んでもらった。
その人が大谷京子さんだった。
 そして、卵醤の説明をしながら一個飲んでいただいた。
「二十分で効果が出始めますよ」と私は予告して、その場にいてもらった。
 十分たった時に、大谷きんは「涙が止まりました」とおっしゃった。
そして、二十分たった時に「鼻づまりが治って、とてもさわやかです」ということになった。
お客さまも良栄さんもビックリしてしまった。私の予告がこんなにも見事に当たったからである。
 あとは大谷さんに卵醤の服用法を教えた。
 翌日の夕方、仕事を終わって米山荘に帰ってきたら、大谷さんが飛んできて私に最敬礼でお礼である。
大谷さんは
「私はいままで、朝日が覚めても、しばらくは視力がまったくなかったのに、
今朝は目覚めた時に視力がありました。ウレンクテウレンクテ」とおっしゃったのである。
こういうことになるので、私はどんな症状はどこが悪いかとか、治るときにどういうふうになってゆくか、
何分くらいの時間で何が起こるか、というようなことをいろいろ知っているのである。
花粉症と高血圧が同時に……
 ある年の沖縄のムーン・ビーチホテルでの社長を対象とした経営計画実習ゼミ≠ナのことである。
 第一日の朝食のときに、K社長が「花粉症でもう十年も苦しんでいます」とおっしゃるので、
「ここにいる一週間で治してさしあげますよ」と申しあげた。
 そして、毎朝卵醤一個を四〜五日続けることを実行していただいた。
食事は玄米にゴマ塩、場所は海辺(潮風が吹く)という絶好のコンディション、
たった三日で花粉症が治ってしまった。それには同室のT社長が目を丸くして驚いてしまった。
帰宅後は、ミソ汁の濃いものを、一日四杯とり続けたという。
すると思わないことが起こった。高血圧が治ってしまったのである。
いままでどうしても下がらない血圧がである。
 私は、いままで高血圧の人を数十人、卵醤で治している。
血圧が二百以上の人だと、
一日に10〜20くらいの割合で百五十くらいまで「アッ」という間に下がってしまう。
それ以降は徐々に下がる。このごろは卵醤をやめて濃いミソ汁に切り換えるのだが……。
 また、低血圧の人は卵醤で血圧が正常に戻る。数人の実験で例外なしに治ったのである。
 高血圧も低血圧も、どちらも卵醤で治るとは……。その生理は後に説明させていただく。
痛風が一時間足らずで……
 福岡の社長ゼミでのこと、沖縄のN社長から、
「知人のT社長がもう何年も痛風で悩んでいるが……」との相談を受けた。
N社長は、三年ほど前に、どんな体調不良だか忘れたが、たった一言で治してさしあげたことがある。
「では、昼の会食(私は参加された社長さん方と順番に昼の会食をしている)
にお呼びして治してさしあげましょう」ということになった。
会食の席上で、十五名ほどの社長さん方に、
「T社長の痛風を、この会食が終わるまでに治してさしあげます」と生き証人になってもらった。
 すると、一人の社長が「私も十年以上痛風で悩んでいます」とおっしゃる。
「では、一緒に治してさしあげましょう」と一いうことになって、お二人に卵醤を飲んでいただいた。
 会食は一時までの一時間である。終わる直前に、お二人に痛みはとれたかとお聞きしたら、
お二人とも痛みがとれたという。
風が吹いても痛い痛風が、お二人とも動かしてみても、押してみても痛くないというのである。
 私は「いまは痛みがとれていますが、完全に治っているわけではありません。
これから申しあげる食事を守ってください」と、簡単な食事法を申しあげた。それは、

一 卵醤は四〜五日間一日一個とし、あとは濃いミソ汁一日三〜四杯をとること。
二 ゴマ九、塩一のゴマ塩を、毎食コーヒースプーンで二〜三杯以上とること。
三 水は極力控え、果物と甘いものと生野菜をやめること。
四 精白米だけでなく、押麦、アワ、ヒエ、 キビなどを二〜三割混ぜて食べること。

 これだけである。そして、翌日の定期ゼミでT社長に具合をお聞きしたら、
痛みはまったくなくなってしまったとのことであった。
 なぜ痛風になるのか、なぜ塩で治るのかは、後述させていただく。
原因不明の慢性頭痛が……
 S建設のT部長は、何年間も原因不明の慢性頭痛で悩んでおられた。
CTスキャナーで調べてもわからないので、あとは切開してみるより外ないと医師からいわれているという。
 「そんなの、簡単に治りますよ」と私。いままで何人も治してさしあげている私である。
 卵醤を飲み、あとは水と果物と甘いものと生野菜をとらないようにという注意である。
 その朝十時ごろ飲んだ卵醤で、夕方には頭痛が軽くなったという。
そして、三日ほどで治ってしまったというご返事を頂いた。
二十分で膝痛が治る
 水戸一倉社長会の宴会のときである。
 きれいどころの姐さんが四人呼ばれていたっその中の最年長の小太郎さんは、
長年の右膝痛で立ち居振る舞いもままならないという。
踊りができないので、専ら三味線弾きである。
 「二十分で治してあげようか」というと、「ウソ」という。
「担ぐなら、もっと気の利いた担ぎ方をするよ。とにかく試してみないか」と説明して、
卵醤を一個飲んでもらった。
 それを見ていたY社長が「オレも付き合うか」とおっしゃるので、
「社長やめたほうがいいですよっあなたのような超陽性(後に説明)の人が飲んだら、
今夜の酒もまずいし、一晩中眠れませんよ」と申しあげたが、私のいうことを開かずに飲んでしまった。
 小太郎さんは、Y社長と私の間に座ってサービスをしてくれていた。
 私は時計を見ていて、二十分になったので、「立ってごらんなさい」といおうとしたら、
小太郎さんがスーと立ち上がった、一「立てたね」と私がいったら、
彼女は「アレッ、私はいつ立ったのだろぅ」といいながら、
膝を曲げたり伸ばしたリサスってみたりして、「痛くないわ」と大喜びである。
 サア、後が大賀私の横に座り込んで、
「年取った母親が糖尿病で困っているが、どうしたら治るか」ということになって、
とうとう糖尿病の食箋を書かされてしまった。
一方、Y社長は酔いがすっかりさめて、しらけてしまった。
いくら飲んでも酔わないからである。
翌朝Y社長は「ゆうべはヒドイ目に遭いましたよ。
飲み屋とクラブのハシゴを4軒したがまったく酔わず、ゆうべは眠れませんでした」と。
完全下戸が手酌で酒を飲みだした
 K社長は、下戸も下戸の大下戸である。日本酒はオチョコ二杯で完全にダウンである。
 ある日の酒席で洒が飲めるようになりたいかどうかを聞いてみると、飲めるようになりたいという。
 では、ということで卵醤一個。十分ほどたったところで、
私にいわれて恐る恐るビールを一杯飲んだ。何ともない。また少し飲んでみた。
 そして、ついにグラス一杯飲めた。「不思議ですね」という。
スローペースながら、二杯目を飲みだした。
同席の人々はK社長がまったくの下戸であることを知っているので、皆驚いていた。
 しばらくたったとき、私がふと気がついてみると、
K社長は左手に杯を持ちながら、右手にお銚子を持って、手酌でやっていた。
君子豹変どころのさわぎではない。
 後日、その後のことを聞いてみると、卵醤のおかげで、とお礼をいわれた。
 卵醤の威力はかくのごとし。
まだある。若い者が一気飲みで急性アルコール中毒になったときに、救急車など不必要。
卵醤を一個飲ませれば、たちまち治ってしまう。
そんなことにならないように、また、接待で今夜は「ヤバイぞ」と思ったときには、
あらかじめ卵醤一個ですべて万全である。
 また二日酔いのときにも卵醤が一番効く。その上熱い風呂に入れば、もう万全である。
腰痛は治ったが……
 A社長に初めてお目にかかった時、連れの社長に私のことを聞いていたのだろう、
「腰痛がひどくて因っている」とおっしゃる。
A氏の手のひらに触ってみると、グッショリとぬれている。
これは、血中塩分不足のために、
手のひらと足の裏から水分を体外に排出して血中塩分膿度を高めている状態である。
その証拠に、この冷汗には塩分がない。
寝汗は塩分があるのに。これが人間の生理である。
寝汗については後述する。
 そこで卵醤一個で塩分補充である。二十分ほどで腰痛は退散である。
三日ほど続けることを申し添えた。
 翌日の朝昼も一緒だった。調子はどうかを聞いてみると、A社長いわく
「腰痛は治りましたが、前のほうが固くなって処置に困っています」と。
連れの社長が「早く嫁さんをもらえ」と冷やかしである。
 済州島の合宿ゼミのときのM社長は、六十歳をとうに過ぎていた。
顔はスッカリたるんで、全体に生気がなかった。
 第一日夜、六〜七人の社長さんたちと夕食を共にしながら、私の持病の健康談義である。
 そのときに、皆さまに卵醤を飲んでいただいた。
 翌朝、M社長が私のところへ来て、声をひそめて、「一倉さん、今朝は十年ぶりに固く
なりました」と大二コニコである。
 それ以後、M社長は実習中は必ず海の精(完全自然塩)≠フ袋を置き、
時々これをつまんでは口に入れていた。
一か月ほどたってお目にかかった時、顔は引き締まって精悍な容貌に変わっていた。
とても一か月前と同一人とは思われないほどであった。
全身に精気が張り、健康を手に入れた自信が歩き方にも現れていた。私は嬉しかった。
ゴルフでもこむらがえりが起こらない
 沖縄での合宿ゼミの中日の休日のゴルフのときであった。
 パートナーの一人であるY社長が、「私は夏にゴルフをすると(このときは四月で内地の夏くらい暑い)
 こむらがえりが起こることがありますので、きょうもひょっとするとこむらがえりが起こるかもしれません。
そのときはリタイアさせていただきます」とおっしゃった。
私は、「そんなもの卵醤を飲めば起こりませんよ」ということで、
クラブハウスのレストランで卵醤一個飲んでいただいた。
 Y社長は、「後半になると、いつ起こるかと心配していたが、ついに起こらなかった」と。
帰りの車の中でY社長は「一倉さん、不思議ですね。それにきょうは足がとても軽かったのです。
いまふくらはぎを触ってみると、柔らかいのです。こんなことは、いままでありません」と、大喜びであった。
 翌日の朝食のとき、「昨日は、あれから海に入って泳いでみましたが、それでも何ともありませんでした」と。
これもいままでなかったことであるという。しかもゴルフを一ラウンドした直後にである。
 内地へ帰って間もなく、Y社長よりお手紙があった。
「卵醤のおかげで先日のコンペでは新記録のスコアで優勝しました。卵醤万歳」と。
Y社長は完全な塩分党≠ノなってしまったのである。
そして家族全員がいままでの塩分控え目党″から愛塩党″に変わってしまった。
そのために家庭が一遍に明るくなってしまったという。
「子供たちはパパはこのごろ怒らなくなったと私の株が上がりました。
妻も体の調子が良くなり、実家に帰った時に父母に塩談義をしてくるという。
父親は医師なのです」ということになってしまった。
 ご長男は、大学のラグビー部だが、いままでは、練習して家に帰ってくると、
玄関で倒れるように雇そべって、しばらくは動こうともしなかったのに、愛塩党になってからは、
家に帰ってもそんなことはまったくなくなってしまったという。
それどころかピンピンしていて「お母さん買物があったら僕が行きますよ」と母親を喜ばせるほどになったという。
 新春の、東京−箱根間の大学駅伝競争では、寒さが厳しい日には、
よく選手がこむらがえりを起こすということだが、これをなくす方法を、あなたはおわかりになったでしょう。
 なぜ、こむらがえりが起こるか、
また、長拒絶でアゴが上がる≠ニいう現象も、人間の生理面から後に説明いたします。
孫の手がいらなくなった
 S社のH会長は七十歳にまだ二〜三年ある。
 ある冬の日の夕方、社長、役月と一緒にホテルに私を迎えにこられた。会食のためである。
 ロビーに降りてみると、会長はコートの襟を立てて、体を縮めるようにして待っておられた。
顔色は真っ青である。 会食の席で、会長の体調をお何いした。
もともとの寒がりで、冬はとくに体調が良くないとのことである。
夜は何回もトイレに起きるので安眠できない。それに暖まってくると、
背が猛烈に序いので、枕元にはいつも孫の手≠用意しているという。
五十肩で左手は動かすのも大儀で、おまけに左手手のひらが硬直していて、
はしの枕を乗せても痛くて耐えられないということである。塩分大欠乏症である。
 私は、卵醤をお勧めした。そして、私を含めて四人で卵醤を飲んだ。
私はその晩渡られなくなるのを覚悟してである。
 しばらくすると、会長は「アレッ」と声を出された。
何の気なしに卓上にあったはしの枕を左手に乗せたところ、痛〈ないというのである。
全身がポカポカして心地良いという。
 私は「左手はどうですか」と聞いてみた。
会長はまた「アレッ」である。左手が肩より高く上がるのである。
 翌朝、昨夜の様子をお伺いしたところ、トイレに二回しか起きずに、かなり安眠に近かったという。
いままで背が痒くて孫の手の厄介になったのに、昨夜は使わずに済んだということである。
 私は、例のセミナーのときの会食で、お招きした社長さん方に五十肩の方はおられないかお聞きする。
時々というよりも、かなりの頻度で五十肩の方がおられる。
このときは、「皆さん、ここにおられる五十肩の社長さんを、二十分で治してさしあげます‥」と
予告してその方に卵醤を飲んでいただく。
 二十分たつと、大抵の方が辛が垂直に上に上がる。上がり方が少ない人でも水平よりも高くなる。
そういう方には、明朝卵醤を飲めば垂直に上がりますよ」と申しあげるのである。
一か月治らないカゼが三日で治る
 N社にお伺いした時に、N社長はもうーか月もカゼが治らず、
薬を飲み、注射をしてもらっているが、サッパリよくならないという。
 「卵醤二〜三個で治りますよ」とお勧めした。次回お伺いした時に聞いてみたら、
三日もたたずにカゼが治り、一か月後にまたカゼ気味だったので、卵醤を一個飲んだら治ってしまったという。
カゼグセが悪かったというN社長は、それっきりカゼにはあまり縁がなくなってしまったという。
「カゼを引いたな」と思った時に、卵醤一個でケロリと治り、カゼを引くのがダンダン間遠になったという。
腱鞘炎(けんしょうえん)
札幌の社長ゼミの後、お世話になったクラブのママ、R子さんらとパートナーでゴルフである。
 R子さんは、腱鞘炎で右手の人差し指と中指が痛くて、うまくクラブが握れないという。
昼食時に卵醤を飲んでいただいたら、午後のスタート時には痛みがトレてしまっていた。
R子さんも愛塩党≠ノなり、お店に来られるお書きまの体調不良の方に卵醤を勧めては喜ばれている。
読者のお手紙
            大阪府 K・S様
 私は一倉様の文で何が一番目を引いたかと言いますと、
石塚左玄という方のお名前を書かれていたことでした。中略
一倉様にお願いしたいのは、自然食を言っている方が、本当の自然食の流れを語らず、
自分の都合のよいところのみをとって、あたかも自分が生みだしたかのように指導している事に対して、
多くの方に石塚左玄のことを広めてほしいのです − 後略

 ●お答え
 石塚左玄先生こそ、正食の根本≠説かれている方で、食聖≠ニいわれております。
あなたのご希望通り、石塚左玄先生と、これの実用化を行った桜沢如一先生の思想のご紹介とその応用を、
拙いながら一所懸命に書かせていただきます。
               一倉 定