てんぴ味噌 誕生秘話 文:ご塩社 笹谷 達朗 食は越後(新潟県)にある |
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江戸時代 越後の人口は、日本一だった。食に秘密がありそうです。峰村醸造の姉妹蔵、越後味噌醸造は、越後国の一宮 弥彦神社の麓にある。裕に百年を超える木樽の中で、てんぴ味噌は醸されている。 人との出会いは誠に不思議なものだ。 てんぴ味噌ができるまでの経緯は、まさしく縁(塩)。 理想的なお味噌とお醤油の物語をお届けしたい。 お塩を追求して30年近く経つ塩屋の願いは、 「本物のお塩でお味噌と醤油を造る事」。 何故なら、日本人の元氣の要はお味噌と醤油によるものだからだ。 お塩が導いたご縁(塩は塩とも読む)峰村醸造 葉葺社長とお塩茶号(2021/10/20))当時、新潟の味噌蔵 峰村醸造の社長さんは体調不良で悩んでいた。(2016年頃)知人に勧められた天日海塩で、体調は一変した。 お塩のパワーを体感した社長さんは、塩屋の長年の想いに共鳴してくれた…。 無謀な挑戦は、醤油づくりから始まった。。。さらなる醤油誕生物語そもそも、てんび味噌の物語は、まず、醤油づくりから始まった。そのきっかけは、天日海塩を愛用する方から、「天日海塩を使った味噌は自分でも作れるけど、醤油は造れないか?」と味噌蔵の社長に相談があった。 社長さんの味噌蔵には、醤油をつくる設備がない。 味噌屋の社長さんは、友人の醤油屋にお願いしてくれたが 「作れるが、余分な木桶がない」と言われたそうだ。 峰村醸造には木桶はないが、姉妹蔵の越後味噌醸造に木桶がある。 その木桶を貸しだし、その木桶でつくってもらうことに決めた。 ところが、その桶が大きくて工場から出せない。 彼は、大胆にも、工場の壁を壊して木桶を出してくれたのだ。 味噌屋の社長は、壁を壊してまで出した木桶と天日海塩をつかって どこまで醤油の味が変わるのだろう?と不安だったという。 多分、商売本位というより、子供ような好奇心でワクワクしていたのだろう。 一年間の熟成期間を待った。。。煮物に使ってみた。まったく良さがわからなかった、という。 しかし、刺身、お寿司に使ってみると・・・旨いじゃないか、と納得した。 しょっぱいだけの醤油ではなく、 また変に拘って旨味が過剰になり、 醤油が素材の良さをかきけすこともない。 醤油だからびっくりするほど旨いということはないのだが、 仕事柄様々な発酵食品を試す味噌蔵の奥様からも、 「お刺身やお寿司のときこの醤油がないと、なんか寂しいよね」 と無事に食卓醤油に採用されたという。 味噌蔵の社長は、壁を壊した甲斐があったとホッとした、と笑っていた。 いよいよ、無謀な挑戦のベールを脱ぐ時が来た 二夏・二冬を越えて味噌蔵の社長さんから、2021年10月に連絡が入った。 「天日海塩で醸したお味噌を試食してみたが、なかなかいい感じですごく旨い。 もうすぐ、出荷できそうだ。」 塩屋の私は、「酒精などを添加しないで商品化はできないだろうか」とお願いした。 社長さんは、「寒い季節なら大丈夫だ。ちょうど二冬を越す頃がいいかも。」 二夏・二冬を超えた味噌を、お届けできるようになりました。 無謀な挑戦から醸されたお味噌の醍醐味を、ご堪能下さい。 2022年2月11日 建国記念日 てんぴ味噌 木桶仕込み醤油 誕生秘話 動画版はこちらからどうぞ |
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食は越後 ( 新潟県 ) にある! 越後国の一宮 弥彦神社の麓 越後味噌醸造株式会社の味噌蔵はある 裕に百年を超える木樽の中で、 てんぴ味噌は醸されている 人との出会いは誠に不思議なものだ てんぴ味噌ができるまでの物語 理想的なお味噌と物語をお届けしたい お塩を追求して 30 年近く経つ塩屋の願いは 「本物のお塩でお味噌と醤油を造る事」 何故なら 日本人の元氣の要はお味噌と醤油によるもの 味噌蔵の社長さんは体調不良で悩んでいた 天日海塩の摂取を勧められて体調は一変した お塩のパワーに気づいた社長さんは 塩屋の長年の想いに共鳴してくれた… てんぴ味噌は 二夏・二冬を越えて皆様の元へ旅立つ 文:ご塩社 笹谷 達朗 |
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