日刊富良野 記事      


お塩ちゃんは、お塩の大切さを伝える為に誕生

小冊子 テキスト自然塩 読んでお塩の追求を始める

日本自然塩普及会の活動
○塩は調味料としてもっとも基本的なものであり、食物の保存用としても大切な役  目を果してきましたが、生命と健康にとっては不可欠の基本食料です。
○塩は日光、空気、水、土などと同様に生命活動の支えとして欠くことのできない ものです。
○私どもの細胞は、常に一定の塩分を含んだ水に浸されていなければ生きられませ ん。その塩の栄養バランスがどうでもよいというのは無謀な考えです。
○日本たばこは、「栄養としての無機質は、一般の食物からとるものであって、調 味料である塩からとることを期待するのは無理」と言っています。
○日本たばこはイオン交換膜製塩法を「日本人の英知が生んだ現代の塩づくり」と自慢して
 いますが、イオン化学塩を食用に供しているのは日本だけです。
 「純粋こそ最高、高純度 こそ安全」という考えは食物には適切とはいえません。
○私どもは蒸溜水より自然水を選びますし、旬のほんものを好みます。
 調味料としてもNaclより自然塩がまさっています。
 私どもは、昔の流下式並塩の成分バランスを「食用最適塩」と考えています。
○同時に、塩も食物である以上、清潔でないといけません。
○専売公社が日本たばこ産業株式会社に移行して、たばこ会社が塩を販売することになりましたが、
「自然塩」の啓蒙・普及を妨げる講座(生活センターなどを通して)やイベントが各地で催されています。
○専売のイオン交換膜製塩は、工程で化学薬品塩酸を使っています。
 天日塩を原料にした精製塩は苛性ソーダで化学的に処理しており食卓塩、
 クッキングソルトなどもサラサラにするために塩基性炭酸マグネシウムを添加しています。
○「専売塩=化学塩」といっているのは、専売塩は化学薬品を中和剤として使って
 化学反応をさせており、ミネラルを排除して化学薬品のような高純度のNaclにしているからです。
○昭和46年「塩業近代化臨時措置法」によって従来の塩田が全廃になり、
 塩田塩はイオン交換膜製塩にとってかわることになりました。
○日本自然塩普及会(菅本フジ子会長・松山市)の呼びかけで「流下式並塩の存続運動」は
 大きく拡がり、各界の有識者、各地の消費者団体などの支援もうけ、
 5万人の署名による陳情・請願のすえ、自然塩の製造・販売(自由販売塩)が当局から認可されました。
(昭和48年6月)
松本氏は、自然塩の先駆者西本友康氏に師事し、1970年春ころより、
 塩田塩の存続運動を提唱・発起を展開。 l973年「伯方塩業梶vを設立
専務取締役に就任。 自然塩Γ伯方の塩」の普及を目指し、
日本全国・世界各国でエネルギッシュに活躍しまた。

〇天然・自然信仰の危険性
自然塩乱立
平成九(1997)年四月一日から塩専売法が一部は廃止され、
塩業界は形式的にはJTの呪縛から解き放たれ新しいステージに突入しました。
イメージ・ムード満点表示は騙しのテクニック
 私達が言い始めた「自然塩」と言う言葉は今は誰でも使いますが、
後から金儲けのために参入して来た人達が勝手に自分に
都合のよいことを言い立てていますので、
ほとんどの消費者、生協やスーパーのバイヤー、食の専門家、
インテリ・文化人、学者までが、誤解しているようです。
自然・健康食品業界だけでなく一般市場へまで
自称「こだわりの自然塩」が出て釆ています。
戦後直ぐにはカメラもオートバイも、メーカーの名前や商品名が
夫々アルファベットのAからZまですべてあったぐらい百数十社が
乱立したころがありますが、いまはご覧のようにカメラもオートバイも
四〜五社に淘汰されてしまいました。
自然塩の業界が今丁度この乱立の入口でしょう。
 品質を論ずるときには、
素材、原材料、環境の自然強調と製法の自然強調の二通りがあり、
さらに成分比と清潔度が問題になります。
基本的には近代化・機械化・量産の反対の極として、日く 
「古式、昔ながら、 手間暇かけた、伝統、秘伝、独自の技法、
歴史、究極の、長時間重労働、つらい、辛抱、手作り、丁寧、丹念、
少量、経験、年期、勘、正直、のれん、信用。
産地、本物、自然、天然、ミネラルたっぷり。
だから当然おいしい、安全・安心」と、
売らんが為の歯の浮くような、レトロ、ノスタルジック、情緒的、
扇情的ムード一杯、紛らわしい誇大表現、事実と乖離したウソ、
大袈裟な美辞麗句の厚化粧で、
消費者に「値段が高くても仕方がないのだろう」と思わせる。
有害なものまで美容・健康に良いと信じ込ませる玉石混交、百家争鳴、
百鬼夜行、悪徳商人の草刈場の観があります。
 天然・自然の狂信は、恐ろしいことになります。
自然界には天然・自然のままがよいものと、
そのままでは危険な食べ物の方が多く存在しています。
おいしいフグにも、美しいトリカブトにも猛毒があり、
野生のキノコなどの多くは毒キノコで食用可能なものが少ないぐらいです。
フグを尾頭つきで美しいトリカブトをつけ合わせにして食べますか? 
自然礼讃一辺倒では間違いを起こします。
『野草を食べる会』の人でさえ時々毒草を食べて事故を起こしています。
食べ物は取捨選択とトリミング(調理)の程度、摂取量の問題でしょう。
 生活必需品と精神的満足を得る趣味道楽品とでは価格体系が異質・異次元です。
噂好品なら値段が高くてもよいけれど生活必需品は安価安定であるべきです。
「値段が高くつけてあれば良い品」と「良い品だから値段が高い」とは別です。
値段が高い塩が、健康に良い、味がおいしい塩ではありません。
塩については値段が高いほどいかがわしいと思ってください。
世の中の商人も経営コンサルタントも口を開けば付加価値・付加価値と言い、
付加価値を少しでも多くなるようにするべく、
「どう言えばより高く売ることができるか」だけを狙った誇大宣伝に懸命と
決めつけてもあながち間違いではないでしょう。
一皮むいだら中には何があるか分からないものがあります。
品質が普通でも無名のものを探し出してきて高い値段をつけて
消費者を食い物にし、裏で一獲千金を狙っている商品が多すぎます。
商品が少し知られて来てスーパーなどが乗り出して来ると
価格競争に負けてしまうのでまた新しく探して来ることの繰り返しです。
消費者にとっては全く無価値な『付加価値』が氾濫し過ぎています。
「値段」と「値打ち」が乖離し過ぎているものが
特に健康と美容関係に多く見られます。
商品の値段と値打ちを見分ける力がない人がつけこまれます。
魂胆が見え透いているので義憤を感じています。
店頭にある自然食品・健康食品は主食ではないのに
毎日食べ続けなければ効果がないものばかりです。
その割りにほ値段が高すぎます。
長らく食べ続けることができるような値段ではありません。
健康と引き替えに財布がいき絶え絶えになります。
「健康食品」と言うとマヤカシ物のイメージを強く持っている人が大勢いますが、
こういう業者がつくりだした、身から出た鋳です。
正直者の業者には迷惑至極なことです。
正しい情報をお伝えしようとする生の声もかき消されてしまい、
孤軍奮闘、衆寡敵せずです。消費者は何を信じて良いか分からなくなります。
塩は品質さえ信頼できればムードは要りません。
宣伝に釣られて高い塩を買うのは
バブル時代のゴルフ会員権、豊田商事やオレンジ共済、KKCに
引っ掛かるのと同じです。宣伝文句に騙されていませんか? 
消費者は間違った知識を吹き込まれて間違った商品選びをしていないでしょうか。
塩についての正しい知識が普及していないから起きている現象です。
悪徳商人が多いから全国の消費者センターはてんてこ舞いをしています。
徹底した消費者指向でなければ、一時の人気を集めることが出来ても
すぐに見限られるでしょう。
結局、人間的に信頼出来る業者を信用するしかありません。
秋田こまちとコシヒカリ、関サバと普通のサバ、
鮭のドーバー産とノールウェー産をどうやって見分けることができますか?
 金儲けのために健康食品業界へ参入して消費者を
食い物にしようとする業者を見分ける一つの方法があります。
経営陣にタバコを吸う人がいる業者の扱っている商品は本物ではありません
(タバコを吸わないからといって、
その扱い商品のすべてが本物であるとは言えないのは当然ですが)。
人様に健康をすすめながら自分は不健康を撒き散らしているのです。
吸えば吸うほど健康によいタバコがあるなら別ですが。
健康・自然食品業界の大会である日本綜合医学会の懇親パーティーで
タバコを吸っている者が大勢いたので、
あの温厚な宮崎市の故・小牧祐夫先生が立ち上がって 
「ここに居る人達は、
タバコを吸っているのを見たらやめさせなければいけない立場の者であるのに、
自分がタバコを吸うなんて以っての外です!」
と喫煙者を厳しくたしなめられたことがありました。
自然塩にもピン〜キリがある
 自然塩にもニガリのない岩塩からニガリたっぷりな死海の塩まで
ピン〜キリがあります。
岩塩も自然塩ですが地質学的にニガリが殆ど無いから無視しています。
私たちが言う自然塩とほ海からとったニガリを含む塩を指します。
JTの天日塩=輸入原塩も岩塩と同じくニガリ無し、
このままではごみが多く好塩菌の恐れがあります、
成分バランスが食用としては今いちですからキリのはうです。
 現在は塩の品質に関する見解を、
大ざっばに分ければJT塩(ニガリなし)VS 自然塩(ニガリ有り)。
その自然塩が
「伯方の塩(ニガリ少量)」VS「その他の自称自然塩(ニガリたっぷり)」
の図式になっています。
健康にも味にも良い自然塩と健康にも味にも悪い自然塩があるのです。
◆JT塩、岩塩 ニガリなし。
◆その他自称自然塩 ニガリたっぷり。Heavy type。
 伊豆大島・海の精、赤穂の天塩、沖縄・粟国島の塩、
 シママース、コープしままあす、中国・皇帝塩など自称自然塩です。
 袋に書いてある説明を見ると矛盾だらけです。
◆伯方の塩 ニガリ少し。Light type。
手造りは善、機械造りは悪ではない

 機械造りの食べ物は何でも危険・不安・悪質・まずいと決めつけて
吹聴宣伝を繰り返す自然狂がいますが、
機械化は量産化、均質化、高速化、低コスト、衛生面、安全面では有利です。
自動車でも飛行機でも電話でもテレビでも生活全般にわたって文明の進歩を
満喫しながら、食べ物については何でもかんでも古い製法を称賛して
文明の進歩を拒否する風潮がありますが、おかしいのではないでしょうか。
伯方の塩≠ヘ文明の進歩が文化を歪めない限り機械を積極的に採用します。
重いものはフォークリフトやトラックで運び、熱い液体はポンプとパイプで送る
など機械に置き換えても自然が損なわれないものはどんどん機械に置き換えます。
コストも下がり、品質も安定し、衛生的です。
文明の進歩に応じて生産を機械化することへの正しい判断、
自然の良さを尊重し自然に逆らわない範囲で自然に手を加えるトリミング、
どの工程は守らなければいけないか、
どの工程は機械に置き換えてもよいか、置き換えることが出来るか、
何を機械化し、何を手作りとして残すか。
何を捨て何を残すかでQuality(品質、特質)が守られます。
そのメーカーの哲学・見識でしょう。
◎日本の塩つくり

日本の有史以前・石器時代には
人は塩を作ることを知らず海水を塩の代わりに使ったため、
ニガリの害で秋田のフキの葉の下で雨宿りができるぐらい体は小さく、
八才ぐらいで成人し一〇才ぐらいで老衰死したそうです、
土クモ族〜コロポックル族時代です。
その後に、貝を食べることを知って
貝のタンパクでニガリの善が緩和され、身長も伸び知恵もつき、
狩猟をし石器・土器を使い三〇才ぐらいまで生きられるようになった
貝塚時代になりました。
火を手にして以来、神代の日本人は海岸に住んでいても
「塩という結晶」にして食べました。
塩を海から遠いところへ運ぶために結晶にするのなら理解出来ますが、
海辺に住んでいても懲役的重労働の見本になるほどの手間暇かけて
結晶にして使う人類の本能と叡知はなんと素晴らしいのでしょうか?
 日本での製塩法は世界でも特殊です。
同じ塩田法でも気温が低く雨が多かったので、
結晶まで待たないで濃い塩水(かん水)になったところで
釜に入れて煮詰めるので「広義」のニガリの逃げ場がなくて
最後の脱水のときまで殆どそっくり含まれます。
脱水のときにどうしても少し逃げますから海水中の成分よりは少なくなります。
それでもニガリが多すぎて湿気やすく、
味もイマイチ、使い勝手が悪く人体に有害で、これを炒れば湿気にくくなり
ニガリの害を除くことができることに気が付いたらしく、
伊勢・皇大神宮の御塩は約六合入る素焼きの三角形の土器で堅めて
焼き塩にしたからニガリの善が消えた良い塩になりました。
神代からの日本人の叡知です。
 十六世紀前半に、築城技術は土地開墾、
河川築堤など土木工事技術と相俟って発達して、
干潟の発達した遠浅海岸を堤防で囲い込んで
満潮時の海面より低いところへ入浜式塩田を造成出来るまでになりました。
製塩は「田圃としての遠浅で波静かと燃料としての立木」が
セットになっていなければ成り立たないので、
瀬戸内は雨が少なく(農業は満農地など、ため池農業)
背後地に立ち木が豊富にあり適地であったので
十州塩田(10の藩)となりました。
当時の製塩は製鋼、製鉄と同じく燃料として立木を切り尽くすから
自然破壊でした。
江戸時代には十州塩田に限らず全国「立木と命は引き換え」で
立木を切ることはご法度でした。
 江戸時代からの製塩の歴史を調べれば
「いかにしてニガリを減らすか」と
言うことの工夫・研究開発・技術革新の歴史であったことが分かります。
ニガリを少し残す程度まで抜いてやらねば、
健康を害し味が良くないことを経験則で知っていました。
忠臣蔵も赤穂藩がニガリが少なくてゴミ・泥の少ない白い塩を作って、
さらに焼き塩にして値段が高く売れて江戸で
圧倒的シェアーをとったのが原困です。
江戸時代の庶民が食べる塩はニガリが多すぎて腎臓を傷め、結石が出来て、
「いざ仇に巡り会ったというときに緊張して急に腹に差し込み(癪)が来て
その場にへたり込む、そこへタイミングよく
快男児が助太刀に現れて本懐を遂げる」めでたしめでたしと観客は溜飲を下げる、お代は見てのお帰り、江戸時代の芝居です。                 
 上流階級ではこの塩を臥に入れたまま梅雨を二〜三回越させて自然の湿気で
ゆっくりニガリを垂れ落とさせて
「枯らせた塩、枯れた塩、二年塩、三年塩」などと呼んで珍重しました。
当時としてはニガリが一番少ない塩です。
ホーロクで妙ってさらに湿気にくく、さらさらして使いやすく、
ニガリの害を除き、よりおいしくするための工夫をし、智恵をだしました。
化学方程式など知らなくても塩化マグネシウムを
水酸化炭酸マグネシウムに変化させたのです。
人間国宝・桂米朝師匠の高座に『焼き塩』と言う江戸時代のお話があります。
江戸時代には既に
「焼き塩〜焼き塩〜」と売り歩いて商売になるほどの値段で売れたのです。
各藩の江戸屋敷跡から塩産地の銘が入った焼き塩の壷が沢山発掘されています。
京料理が洗練されたのは、
だんだんとニガリを減らした「研ぎ上げた塩」を珍重した歴史でもあることは
誰にでもすぐ理解出来ましょう。
 我々の先祖の経験則は間違っていたのでしょうか? 
経験則とは科学より歴史が優先します。
正しい感性、直感による帰納法です。
経験則で外枠を押さえていれば大きい間違いは起きないものです。
 戦前の日本の塩は量り売りで湿っていて、
乾いた塩が欲しければホーロクで炒ったものです。
私も小学校低学年の頃は学校から帰ると子供の仕事として炒らされました。

NHK教育TVは小中学生向けの科学番組で塩を身近かな物質の代表としてし ばしばとりあげます。
 一九九七年四月八日(火)一四:00〜一四:三〇
 「塩の大きな結晶・岩塩 を水に溶かしてみましょう」と言って
 原塩を糸で水槽に吊るして実験して見せ ました。
 その他、大学教授クラスの人が川崎市の輸入原塩が積み上げてあるところへ行って指さして
 「メキシコから輸入した岩塩です」などと言い切るのですから、
 誰でも大粒塩のことを岩塩と思うのは当然でしょう。
NHK京都一九九七年春・・・京都の豆腐料亭『奥丹』石井康家・一二代目当主。
 女性ナレーターの軽快なテンポのナレーション。
 豆腐の作り方・・・豆乳にニガリ。
 「ワラ(カマス)の中に入っている岩塩が空中の水分を吸い、
  岩塩に含まれるニガリの成分を数日かけてぽたぽたと落とすのです」と解説していましたが
 (奥丹さんには関わりないことでしょうが)これは真っ赤なウソです。
 戦前のニガリたっぷりの三等塩でも梅雨どきでないと二〜三日ぐらいでは採れるものでほありません ニガリ入りの岩塩など見たことありません、地質学を書き換えなければならない大事件です、
 そんな珍品は見せてもらいたいものです。
京都の西愛宕山の麓・・・三〇〇年続くアユ料理の店‥『鳥居本』
 地元・保津川で取れた天然アユしか使わない。
 振りかける塩は岩塩を細かくしたもの″を素早く振って一気に焼き上げる。
 石毛直道氏が食べる。なぜ岩塩でなければいけないのでしょうか?
NHKの「今日の料理」でパスタの湯がきに
 『塩は少しつつ入れないと噴きこぼれますから注意しましょう』と
 説明していた女性講師がいましたが、
 JT食塩に防湿加工している添加物である塩基性炭酸マグネシウムのラムネ作用であって、
 JT食塩だけの特徴だということを知らなかったようでした。
一九九五年九月三日(日)10:30〜11:00 RNB・南海放送/制作・著作 
 中京TV『ワザあり紀州の奇跡 完熟梅干し』
 松野周次郎さん・忠夫さんの家族を紹介して、女性パーソナリティ高見知佳さんが
 『紀州梅の最高級品と言われる訳を解き明かしましょう』とナレーションをいれました。
 画面にはっきり、塩の袋に赤い大きい文字で『原塩』と書いてあるのに 
 『天然の岩塩しか使いません、自然のミネラルがたっぷり含まれているんです』、
 だからここの梅干しほ素晴らしい、おいしい梅干しができると感情こめて何度も話しました。
 塩の現物の袋を見ているのに何故間違うのでしょうか。
 塩を見て粒が粗いから、岩塩のほうが塩として優れているとの思い込みで
 原塩=岩塩とレポートしたのでしょうか。
 原塩を使うのは品質の違いに無頓着で値段が安いから多くの業者が横並びで使っているだけです。
 ゴミが多くて非衛生なので一般市場へは流通させていない塩です。
 本当の高級な梅干しには原塩は使いません。
 高見知佳さんは事前にレクチャーを受けていなかったやっつけ仕事だったのでしょうか。
 結果として、自分の無知さを全国へ知らせたことになり、
 TV局は、取材した松野さんの梅干しが並のものであることをしらせ、
 スポンサーも大恥をかいたことになります。
ANA機内誌「SKYSHOP」一九九七年一〜二月号にのっている広告
 [万曜草根粥]
 『天然エネルギー変性加工を施した、通常のものよりアルカリ度が高い国内産天然塩を使用』。
 これ何ですか?天然エネルギー変性加工と聞いてすぐ分かりますか?有り難いですか?初耳です。
 通常の塩とはJT塩のことでしょう。
 これはpH10.7もあり、石鹸のpH10よりも強アルカリです。
 天然・自然海水塩は海水と同じ弱アルカリであるpH8前後です。
 これ以上にpHが高かったら国内産であろうと何であろうと天然塩ではありません。
 具体的な銘柄を聞いてみたいものです。
ANA機内誌「巽の王国一九九七年六月号」
 佐藤隆介氏が沖縄・粟国島の塩をレポート‥
「ミネラルたっぷり、ニガリたっぷり、名実ともに世界一のミネラル含有率を誇る」と
 最大限の賛辞で書いておられますが、
 このままでは昔の身長五尺・人生五〇年に逆戻りする可能性はないのでしょうか。
 こんなレポート を信じてニガリたっぷりの塩を食べた人は悲劇です。
一九九七年九月二六日 一三:00〜TV朝日上沼恵美子の料理番組「おしゃべりクッキング」
 あべの辻調の先生が協力‥ペンネを湯がくのに原塩を使ったら、
 上沼さんが、 「岩塩を使うとおいしい」と言ったのに 
 「これは岩塩ではありません」と訂正をしなかった。
 先生が大粒を岩塩と思い違いをしているのか、
 それとも上沼さんに恥をかかしたらいけないと遠慮したのか?
一九九七年一〇月二日(木)TBS はなまるマーケット
 「外国のハムはミネラルのある岩塩を使うが、
 日本国内製のハムはミネラルのないJT塩を使うよう義務づけられているから、
 岩塩に含まれているようなミネラルが不足しているのでミネラル分を溶かした塩水に浸している」と 説明していた。
 しやべっている本人が正しいと信じてあれだけ堂々と塩についてもウソを言えば
 視聴者は正しい情報と信じ込んでしまうのは無理ないことです。
 「当然ですがJT塩を使うように義務づけられ」てはいません。
一九九七年九月三日 二〇:00〜 NHK 「ためして合点」
 塩抜きの「迎え塩」に化学調味料添加のエソリッチ塩″を使っていた。
 塩の用途が全く分かってない者が番組を作ったのが歴然です。
 大阪・けつねうどん本舗・松葉屋の宇佐美辰一(たつかず)さんを
 「たついち」と読んだ。全く失礼なことです。
一九九七年一〇月二四日(金) 二二時〜フジTV
《料理の鉄人》「塩対決」後藤雅司VS坂井宏行
 料理人がどんな塩を使おうとその人の考えだからよいけれど、
 塩使いの名人達人と言われてTVに出るときには人を納得・感心させる理由があるべきでしょう。
 塩の大きな塊を擦り降ろしながら調理をしていましたが、
 岩塩でも海塩でもげんこつぐらいの大きさの固まりはできます。
 おろしだちの塩がおいしい訳ではありません、ワサビを擦り降ろすのとは違います。
 お客の目のとどかない調理場でもこのやり方が料理がよりおいしくなると
 思ってやっているのなら首をかしげたくなります。
 化粧に使うフルール・ド・セル以外は殆どの場合、
 塩は水に溶けて役に立つのですから料理の味には何の関係もありません。
 岩塩を使う理由は 「岩塩は食品としての品位は海塩より劣る」ことを識った上で、
 「それでも自分が好きだから」でなければいけないでしょう。
 全くの素人受けをねらっただけのパフォーマンスとしか思えませんでした。
  服部幸應先生が「肉には岩塩を、魚には海の塩を」と言っておられましたが、
 陸上動物の肉にはもともとミネラル(塩分)があるから(ミネラルがない)岩塩を使ってもよい、
 魚肉にはミネラル(塩分)が殆ど無いからミネラルのある海塩が合う、
 有無あい補い合うということです。
 「白い料理に白ワイン、赤い料理に赤ワイン」という語呂合わせ的なものとは違います。
橘 出雲著『幸せをつかむ食べ物食べ方』はいわゆる「ハサミと糊」で受け売りを書いた本、
 自分の足で歩いて書いた本ではないようです。
 p.47〜p.66まで「塩」について書いてありますが、一知半解です、
 これを信じる読者はお気の毒です。
 p.51に、[ニガリをたっぷりと含んだ「本物に近い塩=自然塩」を口にするよう心掛けることです 自然塩にはマグネシウム・カルシウムなどの各種微量ミネラルがバランスよく含まれているから。
 それが、母なる海の恵みだからです]。と書いてあります。
 ニガリたっぷりが各種ミネラルバランスが良いのでしょうか? 
 それなら結晶になる前の濃厚海水が理想的な成分ではありませんか? 
 塩のミネラル(ニガリ たっぷりは料理の味も、あなたの健康も壊します。
 さらにp.54に良書紹介として『自然海塩の超健康パワー』
 ジャック・ラングレー著、原悠太郎訳を推薦しておりますが、
 この本はフランス・グランドの泥まみれの塩を宝珠の如く持ち上げています。
 これぐらい塩について不勉強で間違った偏見と独断を書いたものはありません。

●[カリウム塩](塩でない塩・カリウムは恐ろしい)

カリウム(K)は、心臓を止めて安楽死させる筋肉弛緩剤です。
青酸カリも同じ線上にあります。
カリウム塩を食べることは三途の川へ近づくことになりましょう。
「金魚の水槽には入れないでください」と注意書きがあるぐらいです。
カリウム塩は、「食塩」とは呼べないものです。全く売れていません。
おいしくないからいくら頭で言い聞かせても一度使えば懲ります。
ご主人の健康を考えて買って来た奥さんが叱られます。
 カリウムほ植物の肥料の三要素で、チッソ・燐酸・カリというぐらいで、
果物・野菜類など植物はカリウムの塊、
植物が吸って育ったカリウムなどの栄養素を動物や人間が食べる、
その草を食べさせて肥った家畜を人間が食べるのが本筋です。
植物は動かない、動く必要がないからナトリウムは要りません。
菜食が多い日本人はカリウムはとりすぎるぐらい食べています。
江戸時代、飢饉で死んだのは、
塩なしでそこらの野草・草根を手当たり次第に食べたので
そのカリウム、マグネシウム過多中毒で死んだ、
食糧不足よりは草の毒を消す塩不足で死んだ方が多いと言われています。
塩のナトリウムを減らしてカリウムに置き換えても、
体はちゃんと必要なだけのナトリウムほどこかで取り込もうとするものです、
取り込めないときは何等かのとがめが出るでしょう。
 二七年も前のことですが、
私の知人にも昆布をベースにしたカリウムたっぷりの『藻塩』を 
「食べれば食べるほどよい」と教わり信じて、
いつも藻塩を持ち歩いていてがばがば食べていました。
はた目にも「あんなに食べて大丈夫かな?」と
心配が頭をかすめたことがありましたが、
私も西本友康氏に師事し始めた頃でしたから何も言えませんでした。
ある朝起きて釆ないので奥さんが起こしに行ったら
『冷たくなって(死んで)いた』とのことです。
今にして思えば、藻塩にあるカリウムの過多での心臓停止でしょう。
カリウムのとりすぎは喉も渇かないし、
心臓が止まるはど食べても限界が分からないのです。

●死海の塩

自然の状態でニガリが多いほど健康によいと
主張するミネラルたっぷり派の人達なら
死海の塩を食用にするのが理想的ではないのでしょうか。
イスラエルとヨルダンの間にある死海の塩水が自然の状態では
ミネラルが世界一多いのですから
これが持て囃される歴史があってもよいでしょうが、
死海周辺では有史以来誰もこの塩を 
「ニガリが多すぎる」と言って食用にしていません。
死海の近くで説教をしたキリスト様もこれを食べよとは言っておられません。
死海の塩は浴用とか、
マグネシウムを採るためにイスラエルでは死海工業k.kが操業していますが
食用塩は作っていません。
イスラエルは国の南端の紅海に面したエイラートに塩田をつくり
食用塩を自給しています。
死海では勝手に結晶になってくれるので、
まるで、川か海岸で砂を採るのと同じようなものです、
砂は採れば減りますが死海の塩は採っても採っても無尽蔵に結晶になります。
死海そのものが養老の滝″か打ち出の小槌″みたいなものです。
製造原価はゼロで、集めて積み出して運ぶ費用だけでよいのです。
食べることができない塩は塗っても良いが、
塗って良い塩は食べても良い(善がない)とは限らないのです。
1994〜95年の塩浴ブームのときにこの塩を浴用に輸入した業者はいましたが
食用に売った業者はいませんでした。
世界中から欲の権化みたいに思われているイスラエル(ユダヤ)人が 
「日本人はこの塩を@一〇円/sで仕入れて
@一、二〇〇円で(美容・浴用に)売っている、欲が深すぎる」
とぼやいていました。
死海で、目を閉じて瞼の上から湖水を顔に軽く塗っただけでも
耐えられないほどしみました。
映画『怒りのアフガン』のロケに釆ていたシルベスタースタローンが
『俺は別人だ(鉄人だ)』と湖面に顔をつけて
目の痛みに耐え兼ねて大騒ぎになったそうです。