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「正食と人体」第八章 一倉定著 

塩こそは生命のもとぞ その昔 生命海から生まれたり

人々は塩のことをよく知らない

人問の生命力のもとこそは
      神のつくりし自然海塩
 “塩で清める“と、昔からよくいうように、
塩には浄化作用があるといわれます。
今回は、「自然海塩」が生命維持のためにいかに必要な物質であるか、実例を踏まえ、解説します。   一倉経営研究所所長 一倉 定
体内の有毒物質の解毒を行う
 塩というものは不思議な浄化力を持っている。
古人はこれを体験的に知っていて、神前には必ず塩を供えた。
塩かま神社を造って神に感謝している。角力では塩をまく。
商家や料亭では盛り塩をする。
「手塩にかける」のはいとおしい子供であり、願かけで最もきついのは塩断ち″である。
上杉謙信が武田信玄に塩を送った話は後世まで美談として伝えられている。
塩を運んだ塩の道≠ヘいまに残っている。
内陸深いところに、「塩川」(福島県)「塩尻」(長野県)という地名がある。
 通夜か葬式から帰ったときには塩で清める。
 好もしからぬ客が帰ると塩をまく。
 塩を使った民間療法は数十、いやもっとあるかもしれない。
 そして食用、貯蔵食、エトセトラ。
 塩ほど日本人の生活に深く広くかかわっているものはない。
 
それほどの塩を、インチキ実験(既述)に引っかかって、
よく調べもせずに塩を悪者に仕立て上げたやからのために、
日本人の健康はガタガタになってしまったのである。
そのような人たちこそ、真っ先に塩断ち≠してざんげすべきである。

 塩の人体に対する浄化力は、卵醤の場合には老廃物は大小便に混じって排出されるので、
はっきりと確認はできないが、自然海塩風呂だとよくわかる。
 この風呂に入ると、塩の浸透力によって新鮮な塩分が休内に浸透して人体に活力を与え、
その脱水力は汚れた体液を体外に吸出して風呂の水が汚れる。
 病気の種類によって、米のとぎ汁のように白濁したり、チョコレートのような色になり、
ねばねばした粘液がフィルターにべっとりとついて湯の循環に支障を来したり、
薄墨色に汚れたりする。病気によって老廃物が違うからである。
 
慢性病の人は、長年薬を飲み続けているので、その毒が体中に回っており、
毎日入浴しながら、四か月も六か月も風呂の水が汚れる。
その毒の量は恐ろしいほどである。
 そしてある日、突然清澄となり、溶け込んでいるミネラルのせいか、輝くような湯になる。
 それっきり湯は汚れな〈なる。
清浄な体になった人は、すっかり健康になり、いままでの病気や体調はまったく消え去っている。
 
女性(男性でも同じ)など、吹き出物がきれいに治るだけでなく、
シミ、ソパカス、小じわなどもなくなって、皮膚はツルツルの健康美人ができ上がる。
 家人で、だれか風邪をひくと、風呂の湯が濁る。まさに健康のバロメーターである。
 体の中の老廃物は、一つは農薬や老廃物を含んでいる動物食をとることによって、
もう一つは本人が生活のために動く≠アとによって生ずる老廃物の二つである。
老廃物こそ体の健康を害し老化を早めるものである。
 これらの老廃物は大部分が酸性であり、酸性の強いものほど毒性が強い。
 酸を中和するものはアルカリである。塩はアルカリ性である
(ただし、食卓塩は純粋な塩化ナトリウムで人体に害がある)。
それが自然海塩である。
生体は原子転換によって自らに 必要な物質をつくりだす
 ルイ・ケルブランの『生体による原子転換』の中には、
まったく想像もできないような数々の事実が多数紹介されている。そのいくつかを抜き出してみよう。
 
◎1961年、一匹のネズミが二か月、空気と塩だけの不断にある筒の中に閉じこめられた。
空気中のN(窒素)の量はぐんぐん減っていった。
それは古い化学では不可解である。そしてO(酸素)は 増していった。
ここでもNはC(炭素)とOとして利用されたのである。
(カツコ内は筆者注、訳文中に水≠ェないがそのままとした) 
これは、あまりにも意外なことだったので、立ち会った専門家たちは何の意見も述べず、
凍結されてしまったのである。
 
◎白砂(二酸化珪素)の中にスギナの種をまく。
成長ヒたスギナの中の固形物の70%はCa(カルシウム)である。
このカルシウムはどこからきたのだろうか。
 このカルシウムは、カルシウム食品の中で最高のものである。
陰干ししてせんじるか、粉にして天ぶらの衣に混ぜたりして食べればよい。
このカルシウムを自動車を運転する前にとると、視界は広くなるし、まったく疲れを感じない。
特上のスタミナ食である。スギナは日本中いたるところに自生している。
 
◎ベルサイユの養鶏場で石灰分のない泥炭ドロマイトの粘土地に、
ニワトリをヤワラカイ卵を生むようになるまで入れておく。
ヤワラカイ卵を生みだすと、スグ雲母が与えられる。
ニワトリは、初めて雲母というものにお目にかかったワケ、ソレにカレラは本能的に雲母にとびつく。
頭をころがす様にしてむさぼる。まもなく石灰不足は治っている。
 翌日、カレラは七グラムも目方のある堅いカラをもった卵を生む。(原訳文のまま)
 雲母はアルミニウムとKの珪酸塩でカルシウムは含まれていないのだ。

 ◎ サハラ砂漠の石油掘り人夫は、炎天日よけもないのに熱も出さず、ハゲシイ仕事をする。
これは体内のナトリウムを、カリウム(体を冷やす)に変えて身体を冷やしているからである。
 右のようなことが、原子転換方程式とともに後から後から出てくる。
 生物現象は超化学≠ナある。この世界では、アインシュタインの相対性原理≠焉A
タラウジウスのエントロピーの法則≠烽ワったく通用しない。
 
 そこにあるのは万物流転∞輪廻≠フ世界であり、
ユニークな血液理論を展開した千島博士の死即生″の世界とも結びつき、
神沢文正博士の「カルシウム・マグネシウム括抗論」との関連もある。
 原子転換の世界は、栄養学はいうまでもなく動物、植物、鉱物界にわたり、
生物学、物理学、化学、はては天文学までも書き換えなければならない。
 その中で、ケルプランは、
「ナトリウム(塩のもと)はあまりにも変幻自在、とらえどころなどまったくない」と所見を述べているのである。
ナトリウムは底の知れない活力を持っているのだ。
自然海塩でなければならない
 ◎しじみによる実験
 しじみを買ってきて、これを三つの器に分けて入れ、
1.の器には自然海塩水を、
2.の器には再生塩水(輸入海塩を水に溶かして、これにニガリを入れて再結晶させたもの)を、
3.の器には専売局の食卓塩(イオン交換法によって作られた塩)水を入れて放置しておくと、

1.は十〜十五分くらいで貝は殻を開けて盛んに汐を吹くようになり、
  半径五十代ンくらいは床がべとべとにぬれてしまう。
2.では
二時間くらいしてやっと殻を開けるが、汐はわずか七か吹かない。
3.は
まったく殻を開かな
 
これは、何を意味するのだろうか。いうまでもなく、しじみの生存に関して、
1.は、完全に適しているということであり、2.は生存はできるけれど、
それは1.よりは生存環境としては劣るということであり、3.はまったく不適だということである。
 1.は生存条件として最適だが、
2.は、製塩の過程で石灰を入れたり、除鉄槽を通したりするために、
 海水中のミネラル分の一部が除去されてしまっているので、そのぶん生存条件が悪くなっているということである 3.は、ほとんど純粋に近い塩化ナトリウムという薬品なので、生存不適だということである。

 あるマリーンランドで、化学塩を海水と同じ三打入れた水槽の中でサメを育ててみたら、
甲状腺が肥大してしまった。
 化学塩というものは、動物にとっては明らかに生存不適物であることは明白である。
 リンゲル液は、これがなかったときには純度の高い食塩のみであったが、
人体に害があるので、これに塩化カルシウム、塩化カリウム、その他の塩化物にブドウ糖などを加えたものとした。 これがリンゲル液である。
 純粋なものは生物体には害がある。
酸素カプセルも純酸素だけでは網膜が溶けてしまうので空気を加えている。
 化学肥料は、純度が高いために、植物はこれに対応できずに、
化学肥料の持つ物理的、化学的特性のままに植物体の中に浸入していく(一倉仮説)。
だから、植物にも、動物にも微生物にも害がある。
 食物の味は悪く、土壌は荒れ、地中の小動物は死に、微生物も死んでしまう。
 純粋なものは自然の中にはない (例外が金、白金)。

つまり、不自然なものだ。そのために、生物はこれに対応できずに痛めつけられる、つまり毒なのである。
 多くの人々はこのことがわからず、純度の高いものが優れた食品と思いこんでいる。
 ある食品の説明書に「精選した原料を使い、最良の技術により製造された純度の高い食品」と強調している。
 これこそ最劣質の食品なのである。
 これらの人々が劣質な食品と思いこんでいる食品こそ優れた食品である。
つまり、自然のままの原料を使い、伝統的な製法で作られたものである。
精製≠ナはなく、粗製≠ナなければならないのである。
 塩についても、この誤りがある。
だから、精製の度合いが高いほど価格が高い。
つまり、毒性の強い塩ほど高価になるのだ。
 だからこそ、
塩は自然塩でなければならないのであるっ生命に必要な、すべての成分を含んでいるからである。
 このことを、人体の側から眺めてみよう。
 
B表をご覧願いたい。人体に含まれている主な元素の表である。
 地球上の元素は百種類に満たない。
そのうち量の多い順に四十元素をとったものである。
 多い順に酸素、炭素、水素、窒素で九十六%、
これらは炭水化物、脂肪などのカロリーのある栄養物をつくっている。
さらに十三番目の亜鉛までで九十九・五%を占めている。
 残りの元素は全部合わせても人体のたった〇・五%弱。
これらの元素を微量元素といい、俗にミネラルと呼ばれているものである。
 亜鉛までの元素の役割は、ある程度はわかってはいるが、決して十分ではない。
生命の源のナトリウムでき、一知半解の現状であることは、
この連載記事をお読みの各位にはおわかりのことである。
 ましてや、十四番目のルビジウム以下の元素についての役割など、ほとんどわかっていない。
 人間がわかっていようといまいと、多量だろうと微量だろうと、
人体に必要なものは、なければ生命維持ができない。
 もしも、何かが不足すると、たちまち体調不良となってしまう。
 では、それをどうやって取り入れるかであるが、これは食物からとるより外に方法はない。
 そのための最良の食物こそ自然海塩と玄米である。
 
何十億年にわたり、雨は地上に降り注ぎ、川となり地下水となり、地球のあらゆる物質を溶かして海に注ぐ。
だから海水は地球上のあらゆる物質を溶かしこんでいるのだ。
その海水から水分を除いたものが自然海塩である。

当然、自然海塩は地球のあらゆる物質を成分としてもっている。
 玄米は、種族の生命を次の代に伝えるものである。当然生命に必要なすべての物質を含んでいるのだ。
 この二つをとることこそ、食養の基本中の基本である。
生命を維持し、健康にし、天寿をまっとうさせる基本条件なのである。
 それを、無知な人間は、塩は純度の高いものを化学的に作り、
玄米は精白として、最も貴重な生命の源となる部分の大部分を取り去って食用としている。
「愚かなるかな人間よ」といいたくなるではないか。

日本は、古来より海水製塩が盛んで、とくに瀬戸内海沿岸地方は最適な製塩地帯であった。
 工業が盛んになるにつれて塩の需要が多くなり、国産では足りずに輸入が増加していった。
輸入塩の価格は安く、国内産では太刀打ちできなかった。
 何とかして安い輸入塩に対抗しようと研究した結果、
イオン交換樹脂膜を使った電気透析法による高純度塩化ナトリウムの製造法を完成した。
 これは、工業塩としては最適であるが、食用塩としては不適というより、大欠陥塩であった。
人体に絶対に必要な微量成分がないのだ。
 しかし、政府はこの点を無視し、昭和四十七年「塩草近代化臨時措置法」として国会を通過させてしまった。
国民の健康をメナャクチャにする大暴挙である。
 こんな毒物を食用としているのは日本だけである。
 
この法案が議会に提出された時には、全国的な反対運動が起こり、
五万人にも上る署名による「安全性、有効性不明なイオン塩の全面食用化の実施期日の延期についての請願書」が
衆参両院議長あてに提出されたが、これは無視されてしまった。
 化学塩に含まれていない微量成分は、他の食品で補うことができる、というこじつけによってである。
他の食品の微量成分も、調理の段階で大部分捨て去られるという現実を無視
(実際はこれに気づかない無知)してである。
 わずかに、専売公社の特殊用塩取り扱い要項によって、
「輸入された天日塩を、いったん真水に溶解し、あらためて製造する再生塩」という方法を残してである。
現在市販されている天塩≠竍伯方塩″がこれである。
 ただ一つの希望は、塩の専売制廃止の気運が高まってきたことである。
化学塩の食用をやめることも同時にである。

 法律によって本物の塩が作れなくなったことに大危機を感じて立ち上がった人がいる。
大阪府立大学の武者宗一郎名誉教授(故人)である。
 有志の力を集めて昭和五十一年に伊豆の大島に海水製塩所を開設した。
 初めは建築用ブロックを使ったタワー式であったが、間もなくネット式に変えた。
 苦心の実験の結果、黒潮を原料とし、太陽熱だけで塩を作りあげた。
それは、白銀色に輝く正方晶や六方晶の絶品である。
 結晶が大きく、漬物にはよいが、料理にはいささか不向きだった。
そこで火を使って煮詰めることにより、他の塩と同じような粒の細かいものができた。
現在はこれが主力となっている。
 この塩は海水から作ったものであり、法律で禁止されているので売ることができない。
 専売局との間に問題が生じたが、
最後に「日本食糊塩研究会々員に限って無償配布してよい」というところに落ち着いた。
 そこで、塩の欲しい人は会員にならなければならないりしかし、それは建前であって、
特別の手続きなどなく、賛助会員の入会業務の代行をしているところに申し込めばよい。
それは『致知』の編集局に海の精≠ェ欲しいと問い合わせれば申込先を教えてくれる。

 筆者の家で、初めてこの塩を手に入れた時には、あまりの美しさに驚きの声を上げたほどである。
キラキラ輝く大小さまぎまな結晶は、どんな芸術品でもはるかに及ばないという感じを受けた。
いまは粒状が主なので、特別に漬物用″と注文をつける必要がある。
一粒を口に含んだ時に、口の中で広がる味は、まさに自然の醍醐味であり、
愚妻は「この塩甘いわね」といったほどである。
 この自然海塩を使えば、ミソ汁もすまし汁も、煮物も油妙めも漬物も、
すべてコクとまろみと旨味のある素晴らしい昧を持つようになる。
一度この味を知ってしまえば、病みつきになってしまう。
 人間の味覚というものは、必要なものはすべて旨いと感じ、
害のあるものはすべて不快感や苦痛を感ずるようにできている。
神が個体保護のために、生物に授けた感覚である。
 人間の体は、絶対に自然海塩でなければならないのである。
 ■むすび
 塩の解説で貴重な紙面を八回も費やしてしまったが、
これほど重要な物質が、これほど多くの誤解を受けているものはない。
何としてもこの誤解を解いていただきたいということが一つ、
もう一つは、塩が正食の核ともいえるものなので、
正食を理解するために、どうしても知っておいていただきたい、ということで、長くなってしまったのである。
 読者各位は、この章をお読みになって、
いままでの定説とは正反対の筆者の主張に驚かれたと同時に、
「手品ではあるまいに、そんな簡単にいくか」「効果を誇張しているのでは」
というような成蒜心を持たれた方も多いと思われるが、掛け値はまったくない。
 それどころか、筆者自身が初めのうちはビックリしたのである。
十年苦しんだ病気が十分か二十分で治っていく。
視力は塩水を点眼した瞬間に視界がバッと明るくなることなど想像もしていなかったからである。
 そこにあるのは、神が人体に付与した生命力の偉大さ、人体の精妙無比な生命維持機能である。
 われわれは少しばかり手に入れた知識や技術におごり、
「自然を征服した」というような、とんでもない態度をとり、神を忘れ、
自然に逆らって病気になり、自分たちの知識や技術で治そうとしても、
どうしても治すことができないのだ。
 もしも人体を知っていれば、原因不明とか、拒絶反応などは起こらず、
慢性病という言葉は消え七しまうはずである。
 このことを、謙虚に反省してみることこそ正しい態度ではないのだろうか。