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「正食と人体」第七章 一倉定著
塩こそは生命のもとぞ その昔 生命海から生まれたり
人々は塩のことをよく知らない
あたたかき血液こそは人体の
健康保つ大前提で
塩には体熱を発生させ、それを維持する働きがあります。今回は、塩分が、冷え症や老人病、また登校拒否の原因にどれだけ多大な影響を及ぼしているのか、その実証をご紹介します。
一倉経営研究所所長 一倉 定
体熱を発生させる
M社長に初めてお目に掛かった時には、極度の寒がりで、車の中ではカーヒーターを最高にしても、
まだ寒くてたまらないという。家にいるときは、エアコンだけでは足りずに、石油ストープを二個も使う。
家族の方はみんな部屋から逃げだしてしまうほどである。
膵臓が悪く、医者からは厳重な減塩をいいわたされている。
その上歯槽膿漏であるー歯槽膿漏は塩不足の症状の一つである。
私は、減塩の誤りをよく説明した。M社長は直ちに理解されて塩分党に変身した。
たちまち奇跡が現出した。寒がりは即座に解消し、やがて膵臓も治ってしまった。
歯槽膿漏は、ナスのへタの黒焼きに自然海塩を混ぜた歯磨きクリーム
(健康食品店で売っている)でこれまた簡単に治ってしまった。
それどころではない。たちまちのうちに暑がり屋に変身してしまった。
冬でもコートは着ない。
筆者の社長ゼミ≠ナも、冬だというのに暖房が著すぎるといって、真っ先に上着を脱いでしまう。
それだけではない。
仕事柄、世界中を飛び回っているが、まったく疲れ知らずのスーパーマンになってしまったのである。
卵醤を試された方は、ご説明は不要だが、塩は体熱を発生させ、これを維持する力(石塚左玄)がある。
塩類泉は、あまり熱くないのに、湯から上がってから体がいつまでもポカポカするのは、
ご経験された方はほとんどであろう。
これでおわかりになられたと思うが寒がり屋″というのは体質ではなくて体調≠ノしかすぎないのである。
冷え症″というのも、体質ではなくて体調″にしかすぎないのだ。
卵醤を四〜五日続け、あとは濃いミソ汁(赤ミソまたは赤だしミソー八丁ミソのこと−)一日三〜四杯に、
塩を二割入れたゴマ塩を一食に大サジ一杯くらいとり、
果物と甘いものと生野菜を控、え、水を最小限に抑えたら、冷え症とは永久におさらばだけでなく、
体調すこぶるよく顔色もよく、生き生きとして自然に鼻歌の一つも出る気分で、
人から「あなたこのごろ変わりましたね。恋人でもできたの」なんていわれるほどになりますよ。
体温は、脇の下で測って三十六度から七度の間が正常であることはだれでも知っているが、
この範囲で人間の生理は最もよく働くように神様が作られた。
自然治癒力は、この範囲に体温を保つためにさまぎまな調節を行っている。
気温が高かったり、激しい運動などで体温が上がりすぎると汗をかく。
それは、発熱体である塩を体外に出して体温を下げる。
反対に気温が低くなると、血液中の水分を取り除いて塩分濃度を高める。
これが冷えると小便が近くなる、という現象であり、
それでも足りないと震え≠起こして熱を発生させる。
それほどでもない場合は、手のひら、足のウラ、そして脇の下から水分を出して塩分濃度を高める。
だから、これらの冷汗には塩分はほとんど含まれていない。
寒いと鳥肌になるのも、体温のロスを少なくする生理作用である。
では、肺結核にかかると寝汗(やはり塩分はない)をかくのはなぜか、ということになる。
これは、体温調節のためではない。
血中塩分濃度を高めるためではあるが、目的は別にある。
結核菌は、ナメクジと同じように塩分に弱い。
そこで、寝汗をかいて血中塩分濃度を高めて結核菌を殺すためである。
話を元に戻そう。
減塩、減塩で血中塩分濃度が不足すると、自然治癒力の調節ができなくなって、
寒がり冷え症となり、それが続くと、さまぎまな病気になっていく。
正常な体温より低い状態が続くのだから、生理が狂うのは当然のことである。
この生理の狂いが、数百のさまぎまな症状を引き起こす。
その一部は、この記事で既に紹介してある。
それらの被害を最も強く受けるのが、子供たち 赤ん坊まで含む)と老人である。
最近まったく訳のわからぬ病気−ではなく症状だがーが次々と発生し、
すべてが原因不明ということになっている。
低体温症なんてのもその一例である。
塩分不足のために体温が正常にならず、三十六度以下になっている。
夏でも長袖の毛糸のシャツを着て、上衣まで着ている。それでも寒がるのである。
老人病としての、おもらし、ボケ、寝たきりについては既に述べたが、
そこまでいかない老人でも、肩こり、頭痛、神経痛、リューマチ、腰痛をはじめ節々の痛み、視力の衰え、
などなど、まだまだあるが、それらは老人病ではない。
論より証拠、七十四歳の筆者には、こんなものは一つもない。
いや、もっと高齢の老人でもである。実例を紹介しよう。
数年前、金沢に出張した時に、出向先の杜長のご自宅で朝食をご馳走になった。
玄米食なのでありがたかった。
オカズの中にへしこ≠ェあった。
これは、北陸地方の保存食の一つで、小魚類を塩と米糠(こぬかと読む)で漬けたもので、
このときはイワシのへしこだったが、一箸口に入れたら、口が曲がるほど塩辛い。
しかも素晴らしく美味であった。
筆者は舌鼓を打ちながら全部平らげたが、そのときの社長の話というのは、
社長の知り合いのある老婆は、九十二歳でピンピンしている。
毎日針仕事をしているが、老眼鏡を掛けずに針のメドに糸を通すという。
壮者どころか、若者である。
この老婆は、毎朝このへしこを一尾食べるのが健康の秘訣だという。
「お年寄りは塩分控えめ」というのは間違っていることがおわかりいただけると思う。
いや老人は生命力が弱っているのだから、「若い者より塩分を多く摂る」ことこそ正しいのだ。
信州の野沢温泉に行った時だが、泊ったホテルのパートのおばさんのうち、
二人がどうしても健康保険に加入しないと頑張っているので、
社長もほったらかしにするより仕方なかった。
理由は、「病気などしないから」というのだった。
その二人のパートのおばさんは、
梅干し、たくあん、そしてミソ漬けが大好物で、
大根のミソ漬けの一本くらいはあっという間に食べてしまうという。ここにも実証がある。
読者各位も、ピンピンしているご老人が何を好んで食べるか。
塩辛いものは? と聞いてみていただきたい。
減塩している人などいないどころか、ハラハラするほど塩辛いものを食べていることがわかりますよ。
これが検証。
以上の例に見るように、
老人とも思えない健康体の人々は、
恐塩症の方々には想像もつかないほどの塩分をとっているのを知ってもらいたいのである。
そこで、一般のお年寄りの方々や、おもらし、ボケ、寝たきりのお年寄りを抱えておられる人々に、
思いきった増塩食をとってみることをお勧めしたい。
とはいえ、減塩の大キャンペーンによって極度の恐塩症にかかっておられるのだから、
簡単に「ハイ、そうですか」というわけにはいかないのはムりもないことである。
そこで、簡単なテストをお勧めしたい。
入浴の時、上がり際にまだ足の裏がぬれているうちに、自然海塩を粒のまま軽くスリ込む、
塩がこばれ落ちないように水をつけながらである。
亀の子たわしかヘチマを使うと良いが、手でも構わない。時間は五分以上いくらでもよい。
そして、その塩を洗い流さずに上がるのである。
寝たきりの方はシーツの上にビニールのシートでも敷いて行えばよい。
即効があるが、三日続けたらビックリするくらい体調が良くなり、
一週間では信じられない効果がある。三週間で歩けるようになる。
人体というものは、体に悪いときには痛み、不快、嫌悪、拒絶という反応があり、
体に良いものには気持ちよく感ずるように神様が作ってくださっているのである。
これで自信をつけたら、いよいよ食事で塩をとる。
ミソ汁などはだんだん濃くしていく。
醤油を加えてもよい。
料理もだんだん塩、醤油、ミソ(白ミソでなく、赤ミソ、八丁ミソがよい)を多くしていく。
三週間もしたら、体がまったく変わってしまっているのを実感てきる。
お年寄りは気分は爽快、疲れない、視力は上がり、ウソのように元気になって、歩き回るだけでなく、
口うるさくなって若い者を閉口させるだろう。
こうなってくると、カゼをひかなくなる。
お年寄りにとってカゼというのは肺炎を併発しやすい。
このために死ぬ人は非常に多い。
新聞の有名人の死亡記事に冬は肺炎が目立つのはそのため。
それを、「血圧が上がるから」というまったくトンナンカンな指導をして
老化を早めているのが現在の情けない実態である。
肺炎に限らず、冬はお年寄りの死亡率が一年中で最も高い。
かつては脳卒中が多かったが、近年は暖房が進んできたために少なくなっている。
とくに多いのは心不全、心筋梗塞、ゼンソクなどが肺炎と死因を競っている。
すべては体が冷えるためである。
塩分十分、休も手足もポカポカなら、右に挙げた死亡が少なくなるだけでなく、
健康長寿のお年寄りが増える。これでこそめでたいのだ。
お年寄りの平均余命が五年や十年延びるのはお茶の子である。
温血動物である人間は、体が温かいのが正常−つまり健康−である。
体内電流の導電を行う
登校を拒否する生徒は優等生 拒否の原因塩不足なり
T社長ご夫妻の悩みは、中学三年の長女の登校拒否だった。
部屋の中にじっと座ったままほとんど動かない。
そして、「頭が痛い」という。
筆者の食養の話を聞いていたので卵醤≠飲ませたら頭痛が一時良くなったが、いまは痛いという。
筆者は、前にも登校拒否の女子中学生を一人食養で治したことがあった。
勉強はまったくせず、先生のいうことも聞かない。
凶暴性はなかったが、気に入らないこと
一本人にとっては両親の言動すべて、学校の先生のいうことすべてーがあると、
食事中でも家を飛び出してしまうというようなありさまだった。
「塩不足だから、家で食事をするときには両親そろって子供と一緒に塩辛いものを十二分にとること」を勧めた。
三か月後にお伺いした時には、「治りました」というご返事だった。
素直に塩辛い食事をとったという。
いまは素直でよい子になって、家で食事をするし、登校もちゃんとするということであった。
その子のことをT夫妻にも話して、塩分の効いた食事を全員でとることを勧めた。
ちょっと様子を見ておきたいので、呼んでもらったら、素直にいうことを開いて、筆者の前に来た。
それも、そろそろ歩き、筆者を見ても挨拶はしない。
目は、あらぬ方を見て目の玉はまったく動かさない。
典型的な陰性(後述)である。
次にお伺いした時に開いてみると、すっかり治ったということである。
高校にも入学できて、いまは体操部に入っていて、きょうは対校競技のために、これから出掛けるところだという。
様子を見たいので呼んでもらったら、ちゃんと座って「病気を治していただいてありがとうございます」と、
挨拶をした。目も正常な瞳になっていた。
S社長ご夫妻の最大の悩みは、次男の方が非行と登校拒否で、夫妻は何回も学校に呼び出されていた。
大学受験をするというが、勉強はまったくせずに、漫画本ばかり読んでいる。
「勉強しなさい」というと暴れだす。両親となるべく顔を合わせないようにしている。ということたった。
これは、典型的な塩不足≠ナある。
人間の生理のコントロール中枢は、後頭部の脳幹≠ナある。
全身にくまなく張り巡らされた神経から、一年三百六十五日、一日二十四時間、
瞬時の休みもなく無数の情報が集まり、その情報を処理して指令を出す。
それらは、すべて電気信号(電流)によって行われる。
脳波というのは、脳が働いているときに発する電流のことである。
この電流が順調に流れるためには、体液中に塩分が十分にあることが条件である。
読者は、中学校で食塩電池の実験をした時のことを思い出していただきたい。
塩分は電気をよく流したことをである。
減塩で体液中の塩分濃度が不足していると、
電流がよく流れないために、情報伝達がうまくいかずに、全身的な体調不良が起こる。
それをムリに働かせようとすると脳幹にムリがかかって頭が痛くなる。
これが登校拒否者の頭痛であり、学校∞勉強≠ニ思うだけで頭痛が激しくなっていくのは、
筆者が登校拒否児から聞いている。
その他さまぎまなことが頭に浮かんでむしゃくしゃし、暴れたりする。
とても学校に行ける状態ではないのである。
それを不良生徒と決めつけるのは気がつかないこととはいえ誤りであるだけでなく、つれない仕打ちである。
勉強したくともできないのである。
筆者は、S社長夫妻にこのことを説明し、大学に入るために勉強したくともできない苦しさ、
ライバルが進学塾に通っているのを、どんなに悲しい気持ちで眺めているのか、
その苦しさを理解してやってほしい。
だから、「勉強しなさい」とは決していわずに、親子そろって塩分をとる努力をしていただきたい。
塩分さえ十分にとれば、黙っていても勉強をするから、と。
S夫妻は、私の言を理解し、ただひたすら塩分を親子してとることに努めた。
効果はたちまち現われた。次第に明るい顔つきになり、両親から逃げなくなった。
ある日、マンガ本をすべてまとめて部屋の外に出してあるのを認めたS夫妻は、
これを勉強を始める準備と解釈した。
ある日、S氏が何気なく次男の部屋をのぞくと、机の前に座っていた。
勉強開始の予兆であるっ数日後から少しずつ勉強をするようになった。
お盆には、あれほど嫌った父親と一緒に墓参りに行った。S夫妻は狂喜した。
あとは万事OK、父親が勧めても行こうとしなかった進学塾に自分から行くようになった。
父の日には父親にプレゼントをした。もう大丈夫である。
そして、ついに大学受験に合格した。S夫妻にとっては夢のような嬉しいことだった。
高校の先生たちは、大学からの合格通知書を見せられるまで、どうしてむ信用しなかったという。
筆者が、その次男の方に会った時には、明るく礼儀正しい申し分のない青年だった。
以上、三つの実例は何を物語っているのだろうか。
三人とも、親が塩分をとらせたときには素直にこれに従っている。
筆者の予想は、頑強な拒否だった。
これは、筆者にとってはまったく予想しなかった意外なことである。
また、登校拒否が治ってからは、そろいもそろって素直でまじめな、優良で模範的な生徒だったのである。
不良児、問題児のカケラも見られなかったのである。
そのような資質なるが故に、親のいうことを忠実に守り、
減塩したために登校拒否をするような体調になってしまったのである。
登校拒否児は問題児でも不良児でもない。
反対に、素直でまじめで、両親や先生のいうことを忠実に守る優良児なのである。
この事実を、指導的立場にある人たちは、フランクに認めて、認識を改めてもらいたいのである。
このことは、NHKテレビで1992年十二月七日に放映された登校拒否児の番組が裏付けている。
まず子供の声から、
○お父さん、お母さんと一緒にいたくない。
○お母さんと顔を合わせたくない。
○悲しい。○苦しい。○淋しい。○不安っ
○体中が痛い。○夜眠れない。
というのが多い。
人相的には、
○下唇が厚い〇目が細い○生気がない
というのが多い。それは陰性。下唇が厚いのは腸が悪い。
さらに、これが紫色になっていれば大腸カタル。
フリー・スクールという登校拒否児の集まる所の広間のような室が映ったが、生気なし。
何もしないでじっとしている。
郵便配達をしている十八歳の少年は学校の成績が良かった。中学二年の女児は優等生だった。
郵便配達をしている少年が、家で食事をしてるところが映ったが、何とミルクとミカンとパン。
これは登校拒否を食べていふようなもの
(この説明は長くなるので、石塚桜沢理論−陰陽論のところでさせていただく)。
数名の母親は、ただオロオロしているばかり。
教師や心理カウンセラーの意見は、愛情論や指導批判、
そして、結局は「世の中全体が疲れている」という社会責任論でケリ。
だれもかれも困戒心と戸惑い。処置なし、まったくのお手上げ状態である。
登校拒否は時々新聞などの記事に載るが、いずれも、右と同じようなもの、何の結論も解決策もないのである。
登校拒否の真因が食事 − 塩不足と塩分を薄める食物にあることをまったく知らないのである。
塩不足のために、脳が活動できない状態に追い込まれているのだから、
ムリに働かせようとすれば、自然治癒力は脳や体を守るために、
これらのものを、なるべく働かさないような策をとる。
それが登校拒否となって表れるのである。
多くの人々が、まったく思いもつかないところに登校拒否の原因があるのだから、
まったく不可解な事と感ずるのはムリもないのだ。
ムリもないことだが、多くの人々がこのことに早く気がついてもらいたいのである。
しかし、これは至難の業である。
というのは、科学文明の発達によって、人々は事象を観察することを忘れてしまったのである。
科学という字の科″とは分けることであり、何事も分析することのみに関心を集め、
総合的に物を考えることをしなくなった。
哲学は衰え、科学のみ発達し、総合医学は部分医学となり、対症療法以外はまったく考えなくなってしまった。
人体という総合体を考えることを忘れてしまったのである。
人体生理の研究から健康学が生まれなければならないのに、
そのことは忘れ去られ、病気はその根元を忘れて対症療法となり、
医者は患者を診ずに、さまぎまな測定機による測定値のみを見ているだけである。
神を忘れ、自然を忘れ、人体を忘れてしまったのである。
それが病人をつくり、病人を診ずに病気−実は病気から起こる症状しか見なくなってしまったのである。
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