ただの塩屋が「医を語る」。日本民族にはお塩の摂取が最も大切である
          
             
            
            お塩の未知 お塩ちゃんねる通信版 目次
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2018年初版・2020年改訂版、そして・2021年5月には
              「お塩ちゃんねる通信版 お塩の未知」を発信しています。
              
             
           
          
序章) はじめに読む物語 お塩の未知 お塩ちゃんねる通信版
          
           
          
          羊水(塩水)で育ち呼吸して血潮を巡らせて生きている
          
                赤ちゃんは、羊水という最高の環境で浮いて育つ。
                しかも塩水です。羊水の塩分濃度は、0.85%で、血潮の血液や体液と同じです。赤ちゃんは、「おぎゃ~」と生まれてから、肺で呼吸を始める。そして、体内に血潮の血液(海)を全身に巡らせて成長していく。それ以上でもそれ以下でもない。
          この絶対的な真実:羊水の塩分濃度と赤い血潮の塩分濃度、0.85%という事を、ねじ曲げて、健康の為には、「塩分控えめ=減塩が良い」という無意味な指導をして、多くの人たちが身体の塩分(濃度)不足になり、身体が腐り易くなり
          体調に支障をきたしている。増え続ける医療費が動かぬ証拠です。
          
          
          
          お塩の未知(初版テキスト版) 63ページより
          お塩のプロ 誕生のきっかけ
          
          
            
               
        
            村上智彦に捧げる 2021年5月1日
                智彦にゃん、なぜあっちへ行った?
                お前が生きていたら、どんなに俺は助かったか?世の中はここまではならなかったはずだ。薬剤師であり、医師である智彦にゃんの知識を頼りたいと思う毎日なんだ。特に、このコロナ時代に、智彦にゃんはどういった考えをもって行動しただろうと常に考えている。俺が、いま、お塩の事を真剣に追及できているのは、混沌としている夕張の中で、「達朗さん、お塩のプロになれ」と、レストラン
                ルーチェ・ソラーレで、毎日、フライパンを振って、くすぶっている時だった。
              
                
                【2006年】二人の男は同じくして夕張市に入った。
                一人は、地域医療を一番厳しい街で実践しようと挑戦する医師 村上智彦
                もう一人は、タダの塩屋の私である。この時点では接点がない。
                2006年、全国に激震が走った。自治体(夕張市)の財政破綻
                つまり、夕張市の破産のニュースだ。それ以降、夕張市内に、何台ものテレビカメラ、連日のように取材が入っていた。
                夕張は取材銀座となった。
                医師 村上智彦は、夕張市立病院の存続で奔走していた。
                当時の看護師の責任者は、 高校生の時の憧れの久美ちゃんだった。
                タダの塩屋もちょっと良いところを見せようと張り切ったが、
                梨の礫(なしのつぶて)だった。
                
                 翌年、夕張北高校時代の同窓会(卒業30周年)が開かれた。
                その中の同級生の一人の主婦が私に賛同してくれた。
                (財政破綻の話題でにぎわう夕張市にいち早く戻ったタダの塩屋は、夕張再建支援事業主第一号) 
                
                【2007年9月】 タダの塩屋は、国道274号線沿いの街「紅葉山」で、おむすび屋さんをオープン。
                その時のお客様が、医師 村上智彦だった。気さくで、人懐っこい性格が好印象だった。 
                
                【2009年7月】 JR北海道ゆうばり駅舎内に、ルーチェ・ソラーレをオープンすることになる。
                開業前の準備中に、医師 村上智彦が、見学にやってきた。
                それがきっかけで、常連客となった。 ルーチェ・ソラーレは、医師 村上智彦が立ち上げた「医療財団法人 希望の杜」 の打合せ場所や宴会場として、存在していく事になる。
                
                
                ある日突然、何気なく 医師 村上智彦は、私に助言した。
                『達朗さん、お塩のプロになりなさいよ』と 。
                それが、タダの塩屋がプロとなった経緯だ。
                それ以降、医師 村上智彦を 『智彦ニャン』と呼ぶこととなる(彦根市の彦にゃんのパクリ) ちなみに、智彦ニャンは、薬剤師でもあり、医師でもある。 「医療のシステムをぶっ壊す為には、医者にならない駄目だと思って、薬剤師として 、働いていたが、医科大へ進学したんだ」と、医師になった理由を話してくれた。
                その後、智彦ニャンは多くの医療従事者と交流を持つことになる。
                そして、厚生労働省が注目する『夕張モデル』を築き上げていく。
                そして、「病院がなくなると病人が減る」という医療崩壊が全国的な話題となる。
                
                 
                「ささえる医療へ 著者 村上智彦 」
                2011年大震災が、二人の行動を変えていく事になる。
                タダの塩屋は、石炭がエネルギー政策であった事を調べて知っていた。
                原子力発電もエネルギー政策の一環であった事に関心を持った。
                さらにフクイチの原発事故による放射性物質に、海の塩が 有効であることや味噌の話も知っていた。そうやって、全国塩脚に踏みきる事を決断。
                お店を廃業して、夕張市を飛び出した。
                
                【2014年2月】 全国塩脚を開始する。
                それ以降、お塩の伝道師として、好塩快(こうえんかい)を、1600回以上(2021年5月現在まで)行う塩屋になった。
                
                【2017年5月】 医師 村上智彦は、別にやる事が出来たようで、あっちに行ってしまった。医師 村上智彦の意志は受け継がれ 「ささえるさん」となって後継者が育っているようです。
                医師 村上智彦は、多くの医療従事者のシンボルとなっているのです。
                
                
                智彦ニャンの一番の功績
                実は、お塩のプロを誕生させたことです。
                私だけでもそう思っています。
                なぜなら、お塩が日本を 立て直す「鍵」となりえるからです。
                少なくても、私は、そのつもりで、
                『好塩快で、全国塩脚』をこれからも続けます。
                  
                  
                  
                  2021年5月ゴールデンウイーク、
                  東京など大都市圏では、異常ともいえる「緊急事態宣言」が発令中です。
                  個人の自由を制限する内容となっています。
                  国会では、緊急事態条項を織り込む憲法改正案が、内閣によって進められています。
                  
                  2021年5月1日 笹谷達朗